ピクスタ秋岡さんのベンチャーを上場へと導く組織変革と「違和感を放置しないキャリア」

「デザインしない」キャリアとその実践者:第3回 秋岡和寿さん

 スキルを磨いてやりたい仕事に就きたい。ポジションや待遇もアップさせたい。そのために、自らキャリアをデザインすることも大切ではありますが、全く違うアプローチで、自分の可能性を高めることができるのではないか。そんな問題意識のもと、「デザインしないキャリア」の有用性について、その実践者の言葉をもとに検証していきます。連載第三回は、住友電工での生産企画、グロービスでのコンサルタント・法人営業のキャリアを経て、ピクスタにて戦略人事部長を務めている、秋岡和寿さんにお話を伺いました。

[公開日]

[語り手] 秋岡 和寿 [取材・構成] 佐藤 崇敏 [編] 栗原 茂(Biz/Zine編集部)

[タグ] コミュニティ ワークスタイル キャリアデザイン キャリアドリフト 計画された偶発性

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秋岡和寿さんプロフィール

ピクスタ株式会社 戦略人事部長
神戸大学経営学部卒業後、2002年に住友電気工業株式会社に入社し、法人営業職、生産企画職として従事。2005年に株式会社グロービスに転職し、法人営業職リーダー、コンサルタントを経験し、MBAを取得。2014年より、写真・イラスト・動画といったデジタル素材のオンラインマーケット事業を展開する、ピクスタ株式会社へ。人事部長、経営企画部長を経て、現在は戦略人事部長を務める。

キャリアヒストリー

  • 2002年3月:神戸大学 経営学部 卒業
  • 2002年4月:住友電気工業株式会社入社
    工場現場での勤務、法人営業職を経て、生産企画職を務める
  • 2005年:株式会社グロービスに転職
    組織変革コンサルタント、法人営業チームのリーダーを経験。
    グロービス経営大学院にてMBAを取得
  • 2014年:ピクスタ株式会社に転職
    戦略人事部長として、ベンチャー企業の急成長を支えている

生産や経営の「Planning」と現場の「Doing」の狭間で、初めて気づいた職業観

——どんな学生時代を過ごしましたか?

 両親の期待に応えたかったことと、姉に対する劣等感が根本にはあったと思います。両親は、私の意志を尊重した上で、教育に対する投資を惜しまなかった。何でもやらせてくれたんですね。その期待に応えるために、いわゆる「いい大学」に入り、「いい会社」に就職しようと。そして、3歳年上の姉がいて、彼女はエリート街道を走っていました。大阪の名門校を卒業し、京都大学にストレートで入学。就職後も、大手メガバンクから社費でMBA留学するような人で、彼女に対する劣等感を常に持っていました。

 私自身は、中学受験に失敗して公立に通い、大学も浪人してようやく入れたぐらいだったので(笑)。今考えると、恥ずかしい話なのですが、自分で決めた道を切り拓くのではなく、他人と比べたり、誰かの期待にそのまま応えたりすることを大切にしていました。

——そして、大学生活を経て、就職へと至るのですが。

 マーケティング関連のゼミに所属していて、そこでのフィールドワークの経験がその後の人生に影響を及ぼしています。ある小売業の調査のために、アンケートを作成し、店舗の前で配ってお客さんと直で触れたり、アメリカのディズニーワールドに行って、英語でインタビューしたり。要は、自分の体で体感することの大切さを学びました。「自分で動いて、自分の手で前に進めている実感を持ちたい」という感覚は、いまでもずっと生きています。

 就職先は住友電工を選びました。社会の根幹に携わりたかったんです。素材やインフラというものを通じて、日本を支えたいと思っていました。当時は、IT業界への就職を選択する学生が多かったのですが、自分が受けたのは、重厚長大な企業ばかり。両親からの期待に応えるという意味もあったかと思います。

——住友電工ではどのような仕事をされましたか?

 まずは現場での研修です。伊丹市の半導体の工場で、ラインの工員とウエハーをダイヤモンドカッターで切って、置いて並べるという作業をひたすらこなしていました。その後、法人営業職を経て、生産企画部門へと異動したのですが、ここで転機が訪れます。会社の経営戦略を受けて、生産計画を立てて現場に働きかけるのですが、なかなか思った通りに動いてくれなかったんです。現場の人たちは、「また上が何か言い始めた」と半分しらけながら、お茶を濁して作業しているといいますか、経営サイドの意思が伝わらない。現場の経験もあったが故に、大きな違和感を持ちました。現場の人たちが、自分たちで「変わろう」という意志を持たないと、会社は前に進まないことに気づいたのがこの時です。会社というものは、一人ひとりの意志で成り立っているな、と。生産計画を立てることはできても、人の意志には何も働きかけることができない。このもどかしさから、4年目の当時、転職を決意しました。

——伝統ある大企業をその若さで退職するのは、珍しかったと思うのですが。

 まさにそうです。上司に呼ばれて、担当役員にも呼ばれて、「お前、何を考えているんだ!」とこっぴどく叱られました(笑)。開き直りというわけではないのですが、やりたいと思ったことをストレートに伝える。若い自分にはそれしかありませんでした。理屈ではなく、素の自分として、「人が一歩を踏み出して、可能性が広がる仕事に就きたい」という想いを言葉にすると、最終的には理解してもらえました。

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