組織を越境するOne JAPAN濱松誠さんが語る、人や企業を巻き込むうえで大事なこと

「デザインしない」キャリアとその実践者:第7回 One JAPAN 濱松誠さん

 スキルを磨いてやりたい仕事に就きたい。ポジションや待遇もアップさせたい。そのために、自らでキャリアをデザインすることも大切ではありますが、全く違うアプローチで、自分の可能性を高めることができるのではないか。その問題意識のもと、「デザインしないキャリア」の有用性について、その実践者の言葉をもとに検証していきます。連載第7回は、パナソニックとベンチャー企業に籍を置き、『One Panasonic』『One JAPAN』といったコミュニティ活動を行っている、濱松 誠さんにお話を伺いました。

[公開日]

[語り手] 濱松 誠 [取材・構成] 佐藤 崇敏 [編] 栗原 茂(Biz/Zine編集部)

[タグ] ワークスタイル キャリアデザイン キャリアドリフト 計画された偶発性

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濱松誠さんプロフィール

パナソニック株式会社コーポレート戦略本社 人材戦略部 主務/パス株式会社CEO室/事業統括本部 コンサルティング事業担当 プロジェクトマネージャー/One Panasonic Founder/One JAPAN Founder
1982年京都府生まれ。大阪外国語大学卒業後、2006年に松下電器産業(現:パナソニック)に入社。海外営業、インド事業企画を経て、2012年コーポレート戦略本社 人材戦略部に異動。グループ採用戦略や人材開発を担当。同年、若手主体の有志団体One Panasonicを立ち上げ、部門を越えた全社一体化をリード(現参画者数:2000人超)。2016年には同社初となる、資本関係のないベンチャー企業(パス)への派遣人材に選抜。同年9月、大手企業約30社の20~30代を集めOne JAPANを設立、代表に就任。イノベーションや未来の働き方について研鑽をはかり、提言や実践的な事業モデルの確立を目指す。

キャリアヒストリー

  • 2006年3月:大阪外国語大学 外国語学部 地域文化学科(ヒンディー語専攻)卒業
  • 2006年4月:松下電器産業(現:パナソニック)株式会社入社
    テレビ事業の北米市場向けマーケティング職、インド市場の事業企画職を経て、コーポレート戦略本社 人材戦略部へ
  • 2012年3月:パナソニック・パナソニック電工・三洋電機の合併を機に、組織や部門を横断して社員の交流を図る有志の会『One Panasonic』を設立
  • 2016年3月:化粧品事業、コミュニティサービス事業、旅行事業、コンサルティング事業などを多角的に展開するベンチャー、パス株式会社に出向
    資本関係のないベンチャーへの出向は、パナソニック初めてのケース
  • 2016年9月:トヨタ自動車、NTTグループ、富士ゼロックスなどの大手企業約30社の有志社員が集うコミュニティ『One JAPAN』を設立

「逆の立場から見る、触れたことのないものに触れる」、その大切さに気づいた学生時代

——どのような幼少期を過ごしましたか?

 明るく元気な子供だったと思います。学年で1番目立つ、目立ちたがり屋でしたね。物心ついたころから、ずっとです(笑)。そんな性格ではありますが、自分の人生で大切にしていることがあります。それは、「物事は一つの側面から見るのではなく、その反対側からも見なければ本当の意味での理解ができない」ということです。小学校、中学校時代に、いじめられている友人がいました。止めようと思って、いじめている側に「そんなことやめようよ」と言っても、なかなか難しかった。そこで、いじめている側の気持ちを理解しようとしました。すると、自分が言っていることが少しずつ伝わるようになってきたんですね。いじめている側が100%悪いのはもちろんなのですが、彼らの非を指摘して対立構造を助長するのではなく、彼らに一度向き合って、対話をして、彼らの内面を知ることが問題解決につながることもある。この時に感じられたのは、その後の自分にずっと残っていることです。

 英語を勉強することが好きで、小学生時代に近隣の英会話スクールに通っていました。それがきっかけで英語が好きになり、高校1年生のときにアメリカに、2年生のときにオーストラリアにそれぞれ 1ヶ月、短期留学したのですが、このことも同じです。日本にいながら日本を見るだけではなく、外国から日本を見ないと理解できないと思ったからです。現地では、英語を流暢に話せず、理想と現実のギャップを痛感したのですが、今となってはいい思い出です(笑)。

 高校時代はバスケットボール部に所属しながら、ESS(English Speaking Society:英会話クラブ)も兼部していました。運動系と文化系の兼部も学年では僕だけだったと思います(笑)このときから、「二足のわらじ」の兆しはあったかもしれません。

——大学時代は、どのように過ごしましたか?

 幼いときに親が離婚し、母親が女手ひとつで兄2人と僕の3人を育ててくれました。経済的に豊かではありませんでしたが、母は自分の選択について、否定したことはありませんでした。むしろ、応援してくれました。このことは今でも感謝しても感謝しきれません。高校時代に留学させてくれたのもそう。大学は、経済的な理由もあり、国公立1択で大阪外国語大学に進学しました。欧米・中国以外の経済・文化を学び自分の価値観を広げたいと思い、専攻はインドの公用語であるヒンディー語を選択。語劇(学生達が専攻する言語での演劇)の活動のために、2ヶ月掛けてインドを縦断しました。今までに触れたことのなかった、日本や欧米、中国とは全く異なる文化がそこにはありました。また、ニューヨークに1年間留学することで、日本の良さと課題を肌で感じ、「日本のプレゼンスを世界で高めていきたい」と思うようになりました。就職活動では、メーカーや商社を中心に訪問し、2006年3月、松下電器産業(現 パナソニック)に入社しました。

濱松 誠濱松 誠 氏
パナソニック株式会社 コーポレート戦略本社 人材戦略部 主務
パス株式会社 CEO室/事業統括本部 コンサルティング事業担当 プロジェクトマネージャー
One Panasonic Founder /One JAPAN Founder

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