『そろそろ、人工知能の真実を話そう』著者ガナシア氏が語る「シンギュラリティ批判」

名門パリ第六大学でAI(人工知能)研究チームを率いる哲学者、ジャン=ガブリエル・ガナシア氏が、このほど『そろそろ、人工知能の真実を話そう』(早川書房)の発刊を期に来日した。「AIが人類を超える」というシンギュラリティについての考え方を批判するガナシア氏。フランスの人文科学の立場から、AIがどのように考察されているかについて語ってもらった。

[公開日]

[取材・構成] 京部康男 (Biz/Zine編集部)

[タグ] 人工知能 AI

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シンギュラリティはSF的世界観

『そろそろ、人工知能の真実を話そう 』(早川書房)
ジャン=ガブリエル ガナシア (著),伊藤直子(訳)Amazonへのリンク

──この本では、レイ・カーツワイルなどが主張する「AIが人間の知能を追い越す」というシンギュラリティ(技術的特異点)について、その背景にある世界観を批判されています。

レイ・カーツワイルのシンギュラリティという考え方は、それまでにあった様々な理論を取り込んだだけで、独自の根拠があるわけではありません。またシンギュラリティの根拠とされるムーアの法則やプロセッサーの指数関数的な成長という仮説も、帰納的推論にすぎないものであり、科学的根拠とはいえないのです。

言ってみればシンギュラリティは、科学というよりSF的な世界観です。1980年代にSF作家のヴァーナー・ヴィンジがこの言葉を普及させました。

機械が人間を脅かすというのはSFの定番ストーリーです。AIの第一人者のマービン・ミンスキーやジョン・マッカーシーもSF小説好きでした。フランスにはもちろんジュール・ヴェルヌに始まるSFはありますが、科学者の中でSFへの関心は高くありません。

── ビル・ゲイツやビル・ジョイ、イーロン・マスクなどの米国のビジネスリーダーも、AIの未来に悲観的な警告を発しながら一方で推進者でもあります。日本では「マッチポンプ」という言葉がありますが、この本の中で「放火魔の消防士」だと皮肉られていますね。

そうですね。イーロン・マスクなどはアンビバレンツです。ただ彼らはおそらく、AIの脅威を語りながらも「人間には他に選択肢が無い」と考えているのでしょう。技術革新のプロセスは否応なく進んでいく。そうであるならば、それを徹底的に突き詰めていこうという立場です。

イーロン・マスクはさらに危険な研究を進めています。AIチップを脳に移植して我々の認知能力を拡大しようとしています。それによって人類は大きな変貌を遂げ、機械とのハイブリッドな人間が生まれると言うのです。

しかし、もしそういうことになれば、われわれの持つ認知能力・認識能力が大きくなるのかもしれませんが、われわれの持つ記憶を外部に出すことになります。そうなると他の人から記憶がいじられる、知識がいじられる危険性が出てくるのです。狂信的な思考を全員に送り込むということもできるようになるわけです。脳に対してこういうことが出来るということは、人類にとって大きな問題を孕んでいます。

さらに、カーツワイルは本の中で人間の精神や意識をネットワークにアップロードすることで、人は浮遊する不死の存在になるとまで言います。
フランスでも、同じようにテクノロジーによって、死はなくなると主張する人はいます。ローラン・アレクサンドル(Laurent Alexandre)という高級官僚出身の論者が代表的です。

AIと宗教観

── この本の中でシンギュラリティは「現代のグノーシス主義だ」と仰っていますね。

グノーシス主義は、世界を善の神と悪の神の対立として捉え、論理よりも物語を重視し、精神と物質を完全に分離して考える立場です。そして、世界を早く終末に至らせ、カタストロフィの後に永遠の生命が生まれるという考え方をとります。
シンギュラリティも、AIによって従来の人間が終わり、新しい人類が生まれるという考え方です。また科学とSFを混在させている点でも、合理的な考え方と神話的な物語を渾然一体とさせているグノーシスの思想に似ているといえます。

── 日本ではロボットやAIに親近感を持つ傾向があり、あまり抵抗が無い。そこには宗教観の違いもあるともいわれます。

15年前に「2001年精神のオデッセイア」という本を書き、アニミズムとテクノロジーについての考えを出しました。「モノに精神が宿る」というようなアニミズム的な思考は、ITと通じるものがあります。日本人がロボットなどに馴染みやすいというのも関係があるのかもしれません。また、AIのインターフェースや、アフォーダンスのようにモノと人間の相互関係を考える上で、日本のアニミズム的な思考は親和性があるといえるでしょう。

ポストモダン思想とAI

── 米国を中心とするSF的な世界観のAI論者が目立つ一方で、フランスをはじめヨーロッパでは哲学などの側からのテクノロジーに対する考察がありました。今ヨーロッパの人文科学からは、AIはどのように見られているのでしょうか?

たとえばハイデッガーなどは哲学の中でテクノロジーの問題を扱った人です。ただどちらかといえばテクノロジーについては批判的な立場でした。一方、認識論の立場から、テクノロジーを肯定し深く追求した人もいます。ガストン・バシュラールのような人は哲学者でもあり、自らの研究所も持っていました。認識論の側からAIの基本原理に向かう学者も多くいて、様々な立場が響き合って影響を与えています。

また、70年代から80年代のポストモダン哲学の時代は、今のインターネットやAIの世界を予告していたと思います。ジャン・フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』という本では、今のシンギュラリティ論者が語るポスト・ヒューマンにつながるイメージが語られていましたし、分析哲学の側からも、AIは関心が持たれていました。このように哲学の側でも、AIに関する考察は一貫してありました。ただ結果として、大きな成果を生まなかったといえます。

むしろ「AIに対する研究」ではなく「AIによる研究」の面では成果があったと言えます。
それはテキストの研究や文学の領域です。古典的なテキストや文章の中から、隠れた意味や遺伝子のようなものを取り出し、書き手の中にどういう影響関係があるかを明らかにするというものです。これについていえば、70年代から「インターテクスチュアリティ」(間テクスト性)に関する研究がありました。アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァといった人たちです。現在でも、こうした流れの文体やテキストといった分野では、AIによる研究は役立っています。今後も、そうした方向での可能性があると思います。

── ありがとうございました。

後記:インタビュー中、ガナシア氏は常ににこやかに、AIを巡って古今東西の科学や人文学との関係を縦横無尽に語ってくれた。「シンギュラリティという特殊なシナリオによって、他にもある危険から人の目をそらし、その危険の存在を隠している」(本書より)というのが、ガナシア氏の根本にある主張だ。しかしこの本はそうした批判だけではなく、AIやコンピュータと宗教、文化、哲学などの膨大な学問領域を関連づけている。フランスの人文知と科学を横断する、知的興奮を与えてくれる本である。

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