なぜ日本にはザハ・ハディドの建築がひとつもないのか?
街と文化の関係について語る語る藤幡氏は、国立競技場の建て替えについて、当初のザハ・ハディドのプランを実現できなかったことをいたく残念がった。
ザハ・ハディドを最初に見出したのは磯崎新さんなんだけど、結局日本には彼女の建築がひとつもない。
建築というのは、その街やコミュニティのアイコンとなるべきものです。新国立競技場のプランに対しては景観を心配する声も多かったけれど、何かを建てれば景観が変わるのは当然です。どうせ変わるなら、どこにもないような新しいものを建てればよかった。ザハの案ではスロープを歩いて登っていくと東京が全部見渡せるようになっていて、実現すれば本当に東京のアイコンになったでしょう。
彼女の建築は、一体どうやって建てたのか分からないような形をしています。こういうものを作るのは、当然お金がかかるんですよ。だけど、そういう難問を解いていくところにアーティストに対する尊敬があるわけです。そして、それがモノとして残り、僕らはそれを見るたびに、彼女が投げかけた謎を考える。そこに未来が見えてくるんです
日本人が新しいものを創造するアーティストを尊重しないという現状について、藤幡氏は「仕方ない面もある」と語る。