ビジョンの意義が変わった 必要なのは独自の「美学」や「哲学」
佐宗邦威氏(以下、敬称略):石井先生は「タンジブル・ビッツ(手で触れる、実体がある/情報量の最小単位)」というビジョンを掲げて、リアルとデジタルの融合を目指した研究を長年続けており、蓋を開けることで音楽が流れるミュージック・ボトルや、目の前のりんごの色やお菓子の形をトレースしてデジタル画像を作れるI/Oブラシなどを発表されてきました。現在、ビジョンを掲げることの意義を主張しながら、多くの日本企業ともコラボレーションしていますが、企業がビジョンを持つ意義は社会的にどう変わったとお考えですか?
石井裕氏(以下、敬称略):これまで、ビジョンというものは組織内で温められたまま、世界に向けては発信されない印象がありました。しかし最近は、ビジョンを前面に打ち出してアピールすることが強く求められるようになりました。SDGsに代表されるような新しい規範が生まれたことで、製品や会社に社会的存在意義が求められるようになっているからでしょう。
佐宗:私も同じように感じます。90年代までは、一部のビジョナリー経営者だけがビジョンを持っており、一般の企業は基本的に中期経営計画や戦略をもとに事業を進めてきました。しかしここ10年くらいで、サービスや事業の存在する意味・意義が問われるようになっています。ステークホルダーが、サービスや事業の現状だけでなく、その企業の未来を見て付き合うかどうかを判断するようになりましたね。
石井:今は、若くて優秀な人材の採用・維持が非常に重要な時代ですが、給料の高さや福利厚生の良さではなく、「本当にこの会社の存在に社会的意義があるのか」と哲学的な問いを持ちながら仕事を選ぶ人が増えています。「弊社は風力発電のエネルギーを使っているからエコです」といった、グリーン・ウォッシュのようなアピールだったり、他社と同じようなものを作ったりしているだけでは、誰の心にも響かない。シャープなナイフのように、グサッとくるビジョンが必要ですね。
佐宗:BIOTOPEでも、ここ数年は多くの企業から「長期ビジョンが必要だから、それを実装していくイノベーション組織をセットで持ちたい」と相談されています。しかし、そもそも思想がなかったり、ビジョンが明文化されていなかったりする企業が多いです。よって、まずは会社の歴史から紐解いたり、経営陣、社員が潜在的に持っている未来への願いをナラティブという形で丁寧に解きほぐして、ビジョンを作ることが必要だと感じています。
石井:以前、大企業のビジョンを集めて調べたことがあるのですが、「環境に優しく」「お客様に信頼を届ける」「もっとすてきな明日を作る」といった具合に、美しいけれど、デパートの催事会場の隣で売っている当たり障りのない絵画のようなものばかりでした。環境はすでにビジョンとして掲げるようなものではなく、生存のための必要条件です。ビジョンは夢ではありません。新しくなく、独自でもないものはビジョンとはいえないのです。
たとえば、ソニーやアップルは「その企業に追いつけ、追い越せ」と思われる存在です。これまでは、追いつきたい、追い越したいと思っている他社のコンセプトをもっと早く、うまく、安く作ればよかったのですが、今はそういう時代ではありません。店舗数を1,000軒から3,000軒に増やす、ボードメンバーに女性を何人入れるなどといった小手先の数値的なものでは、人々がその企業の未来を信じてくれなくなりました。もっと独自で、美学・哲学があるビジョンが必要になってきているのです。