マネックス松本社長がFinTech起業家に語った大切なこと

FINOLAB主催「The Fintech Nights」2016.3.1

 Fintech系スタートアップ企業のコワーキングスペース「FINOLAB(フィノラボ)」の第一回めの定例イベントで、マネックス証券の松本大社長が講演をおこなった。金融系ベンチャーとして起業した自身の経験から、フィンテックの起業家たちへアドバイスをした。

[公開日]

[取材・構成] 京部康男 (Biz/Zine編集部)

[タグ] 金融 FinTech

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Fintechという言葉もいずれ古くなる

 松本氏がマネックス証券を起業したのは、1999年。その頃はITバブル真っ盛りだった。今のFintechという言葉の流行にその頃に似た様子を感じるという。

ネット企業、ドットコム企業と言われ、インターネットであれば何でもすごいと言われていましたが、そんなわけではなかった。Fintechという言葉は今は新しいが、インターネット企業と同じでやがて使われなくなる。当たり前のことですが、名称より中身が大事だということです。

リスクテイカーへのアクセスに価値がある

 典型的なサラリーマン家庭に育ったといいう松本氏。若い頃は起業しようと考えたことなどなかったという。ソロモン・ブラザースからゴールドマン・サックスという巨額のリスクをとって投資をおこなう投資銀行でトレーダーの道を選んだ。インターネットが始まった時に、ある人から教わり、ビジネスが変わると直感した。中でもフィジカルなものの移動を伴わない金融が一番大きく変わると考えたという。もうひとつは、従来難しかったあることが出来るようになることだ。投資銀行の仕事というのは、リスクテイカー(お金を払ってリスクをとろうとする人)へのアクセス、リスクセラー(リスクを売ってお金をもらおうとする人)へのアクセス、金融ノウハウ。この3つから成り立っている。このうち、最も難しい「リスクテイカーへのアクセス」の可能性が格段に広がると考えた。

ノウハウは人を採れば調達できる。リスクセラーのところにはお金を持っていけば誰でもあってくれる。いちばん価値があるリスクテイカーへのアクセス。それがインターネットの出現で出来るようになった。

 そう考えて、ゴールドマン・サックスにいた時に個人向けオンライン証券を提案したが、受け入れられなかった。理由は「自分たちは個人を相手にしない」というものだった。そこで松本氏は退社して、インターネットによる個人向けの証券会社をつくることを決意する。ゴールドマン・サックスは99年の5月に上場が決まっていた。その時点で在籍していれば膨大なキャピタルゲインが手に入るはずだった。

もし続けていれば、パートナーとして数十億の上場益を手に出来ました。それでも、辞めて起業するという選択肢しかなかった。なぜなら、翌年1999年10月1日に日本の株式市場での手数料の完全自由化が決まっていたからです。

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