客観性を示すはずの「計数・数字の尊重」からの揺り戻し――「機械的数字論」から「人間的生命論」へ
これまでの時代は「客観性」、つまり誰が見ても納得することが重視されていました。そのため、「計数・数字」こそが最も大事であるとされています。
さらに、この複雑な世界を解かりやすく見るために機械として見ようとする「機械論的世界観」が採られています。
最初は、権力者の主観(個人的意見)に左右されることなく、誰もが納得する客観性に基づく考え方こそが公平だとされてきました。何事も情緒的な曖昧さを排し、機械として見た方が解かりやすいという良さもあります。しかし、「計数・数字の尊重」は3より4、4より5と闇雲に数字の高さを求めるようになります。何事も計数的評価一点張りでは、かえって公平観が失われてしまうという側面も見えてきました。
また、組織(企業)を機械として見た場合、その企業で働く人間は部品だということになり、人間性を無視した扱いに偏るという弊害も出てきています。
人間を機械的に評価し、すべてを数字で割り切っていくというパラダイムに歪みが生じてきた現代において、次に人々が求めたのは「もっと人間的に」「もっと楽しく」という思想でした。言い換えるなら、人間としての「命を喜ばす」という価値観です。いま多くの企業で考えられている「ディーセント・ワーク(働きがいのある、人間らしい仕事)」という考え方です。
東洋思想の根幹「老子」に次の言葉があります。
夫物芸芸 各復帰其根(夫れ物芸芸たるも、各々その根に復す)
いろいろな問題が、生い茂る葉のように発生するが、何ごとも「根本」に立ち返れば、解決が見えてくるといっているのです。