本記事は『イノベーションのDNA[新版] 破壊的イノベータの5つのスキル』の「第1章 破壊的イノベータのDNA」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
破壊的イノベータのDNA
革新的な、または破壊的な事業のアイデアを生み出すにはどうしたらいいのだろう? 創造性あふれる人材を探すには、また枠にとらわれずに考える方法を社員に教えるには、いったいどうしたらいいのだろう? 事業で成功するための秘訣がイノベーションを起こす能力だと知っている経営幹部は、そう考えて途方に暮れる。残念ながら、創造的な人を創造的たらしめている理由を、ほとんどの人はわかっていない。
アップルで長年CEOを務めたスティーブ・ジョブズや、アマゾンのジェフ・ベゾス、テスラのイーロン・マスクのような先見の明ある起業家が畏敬の念を集めるのは、そのためだろう。彼らはいったいどうやって画期的なアイデアを思いつくのだろう? イノベーションの達人たちの思考法を解明できれば、イノベーションが実際にどうやって起こるのかを学べないだろうか?
イノベーションのアイデア
ハーバード・ビジネス・レビュー誌で発表されたある研究で、世界で最も有能なCEOの第1位に選ばれた伝説の人、スティーブ・ジョブズについて考えてみよう。アップルの有名な「シンク・ディファレント」の広告を覚えているだろうか。
あのスローガンはジョブズそのものだった。広告にはアルベルト・アインシュタインやパブロ・ピカソ、リチャード・ブランソン、ジョン・レノンなど、さまざまな分野のイノベータが登場したが、ジョブズ自身の顔が出てきてもおかしくなかった。ジョブズが独創的な人物で、「発想の転換(シンク・ディファレント)」をした人だということは、誰でも知っているのだから。だが私たちが知りたいのは、ジョブズがどうやって発想を転換していたのかだ。実際の話、イノベータはどうやって人と違う発想をするのだろう?
創造的な思考は生まれつきだとよくいわれる。ジョブズのような人は創造の遺伝子をもって生まれたが、ふつうの人はそうではないと。またイノベータは右脳型で、創造力が遺伝的に備わっているが、ふつうの人は左脳型で、ものごとを論理的、直線的にとらえ、創造的に考える力がほとんどないともいわれる。
そう信じている人のために、これがほぼ間違いだということを示そう。少なくともビジネスのイノベーションに関していえば、創造力やイノベーション思考の能力は誰でももっている。あなたもだ。そこでジョブズを例にとって、発想を転換する能力について掘り下げよう。ジョブズがこれまでどうやって革新的なアイデアを思いついたのかを考えてみよう。
革新的なアイデアその1──静かで小さいパソコン
アップルの名を一躍世に知らしめたコンピュータ、アップルⅡの重要なイノベーションは、パソコンは静かでなくてはいけないという、ジョブズの判断から生まれた。彼がこのこだわりをもつようになったのは、禅と瞑想を学んだことがきっかけだった。
ジョブズはコンピュータのファンの音が精神集中の邪魔になると感じ、アップルⅡには冷却ファンをつけないと決めた。当時としてはかなり過激な考えだった。それまでファンが必要ないなどと考える人はいなかった。どんなコンピュータにも、過熱を防ぐためのファンが必要だと考えられていた。発熱量の少ない新種の電力供給方法を開発しない限り、ファンをなくすことはできなかった。
そこでジョブズは新しい電力供給方式を設計できる人を探し回った。人脈を通じて、アタリに勤めていた40代の左がかったチェーンスモーカー、ロッド・ホルトを探しあてた。ホルトはジョブズに促されて、50年前から使われていたリニア電源方式に代わる、スイッチング電源を開発した。この技術が電子機器の電力供給方式に革命をもたらした。静けさにこだわったジョブズと、ファン不要の革新的な電源を開発したホルトのおかげで、最も静音性に優れた最小のパソコン、アップルⅡが誕生したのだ(ファンを内蔵しないために小型化が実現した)。
もしもジョブズが「なぜコンピュータにファンがいるんだ?」、「ファンなしでコンピュータの発熱を抑える方法は?」と問いかけなかったら、アップルⅡは今私たちが知るような形では存在しなかった。
革新的なアイデアその2──マッキントッシュのユーザーインターフェースとオペレーティングシステム、マウス
マッキントッシュとその革命的なオペレーティングシステム(OS)の種がまかれたのは1979年、ジョブズがゼロックスのパロアルト研究所(PARC)を訪れたときのことだ。PARCはコピー機会社のゼロックスが、未来のオフィスを創造すると銘打って設立した研究所である。ジョブズはゼロックスからの出資を受け入れる条件として、PARCを見学させてもらった。ゼロックスはPARCで生まれつつあった刺激的な技術を活用する方法を知らなかったが、ジョブズにはわかっていた。
ジョブズはPARCのコンピュータの画面に並ぶアイコンやプルダウンメニュー、重なり合うウィンドウをじっくり観察した。これらはすべて、マウスをクリックするだけで操作できた。「あそこで見たものは、未完成で、おかしなものさえあった」とジョブズは語った。「だがそこにはアイデアの原石が確かにあった……そして10分もしないうちに、いつかすべてのコンピュータがこんなふうに動くようになるとはっきりわかった」。
ジョブズは次の5年間をかけてアップルの設計チームとともに、グラフィカル・ユーザーインターフェース(GUI)を搭載した世界初のパソコン、マッキントッシュ(マック)とマウスを開発した。そうそう、ジョブズはPARC見学でほかのものも見ていた。このとき初めて知ったオブジェクト指向プログラミングをもとに、アップルを去った後に立ち上げた会社、ネクストでOSを開発した。ネクストはのちにアップルに買収され、このOSをベースにマックOSXが開発されたのである。もしもジョブズがゼロックスPARCを訪問せず、そこで起こっていたことを観察しなかったら、どうなっていただろう?
革新的なアイデアその3──マックのデスクトップパブリッシング(DTP)
マッキントッシュと高品質プリンタのレーザーライターによって、初めてデスクトップパブリッシング(DTP)が一般ユーザーにも身近なものとなった。ジョブズはのちに行ったスピーチで、もしもオレゴン州のリード大学でカリグラフィーの授業に顔を出さなかったなら、マッキントッシュの「美しい書体」が世に出ることはなかっただろうと言っている。
リード大学はカリグラフィーにかけては、おそらく国内最高の指導を行っていました。キャンパスのあちこちのポスターから、引き出しに貼られたラベルの1枚1枚に至るまでのすべてが、美しい手書きのカリグラフィーで書かれていました。私はもう中退していて通常の授業に出る必要がなかったので、カリグラフィーの書き方を習うために授業を取ることにしました。セリフとサンセリフの書体について学び、文字の組み合わせに応じて字間を調整する方法や、美しい字体は何が美しいのかを学びました。美しくて歴史があり、科学ではとらえようがない微妙な芸術性に富んでいるところに心を奪われたのです。
こういったことが生きていくうえで実際に役立つとは思ってもいませんでした。でもその10年後、最初のマッキントッシュコンピュータを設計していたとき、突然あのときのことがよみがえってきたのです。私たちはそのすべてをマックの設計に組み込みました。マックは美しいフォントを備えた世界初のコンピュータになりました。もしも大学であの授業に顔を出さなかったなら、マックにはたくさんの書体も、字間が調整されたフォントも入ることはなかったでしょう。そしてウィンドウズはマックの模倣にすぎないから、そんな機能を備えたパソコンは生まれなかったことになります。
もしもジョブズが大学を中退したとき、カリグラフィーの授業をのぞこうと思わなかったなら、どうなっていただろう?
では、ジョブズの発想を転換する能力から、何を学べるだろう? まずわかるのは、ジョブズの革新的なアイデアが、まるでアイデアの妖精からの贈り物のように、完全にできあがったかたちで頭から出てきたのではないということだ。革新的なアイデアの源泉を調べてみると、次のようなきっかけがあることが多い。
(1)現状に挑戦する質問、(2)技術や会社、顧客などの観察、(3)新しい何かを試す体験や実験、(4)重要な知識や機会に気づかせる会話。実際、ジョブズの行動をじっくり調べ、特にその行動が具体的にどうやって新しく幅広い知識をもたらし、どうやって斬新なアイデアにつながったのかを注意深く検討すれば、彼のアイデアの源泉を突き止めることができる。
この話の教訓は何だろう? 創造性はたんなる遺伝的素質でも、認知的能力でもないということだ。むしろ創造的なアイデアが行動的能力から生まれることが、このエピソードからわかる。こうした能力を習得すれば、あなた自身やほかの人から革新的なアイデアを引き出すことができるのだ。