課題特定後も気を抜いてはいけない──世の中「方策くん」ばかり
課題が見えると(場合によっては、単に思い付きの課題であるまま)、すぐに方策に飛びつく悪い癖が世の中には多く見られる。地方創生課題での例を挙げれば、次のようなものだ。
・課題:人口が減少している。このままではマズい
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・方策:地元ならではの良い点をアピールして若者を呼び込もう
最終提案に書かれていることは、「如何に地元をアピールするか」「どんなイベントを開催するか」といった方策の具体案に検討時間と提案内容の多くが割かれる。ここでもう少し冷静になって考えてみたい。
- これらの方策は本当に課題を本質的に解決してくれるのだろうか?
- 他にもっと有効で本質的な方策はないと本当に言えるのだろうか?
これらの問いに答えられないまま(もしくは考えもしないまま)、データ分析によって課題が特定できたら即方策案に直行
私はこのような特徴や思考をする人を「方策くん」と呼んでいる。
「方策くん」を卒業できないと、いかに精緻可憐なデータ分析ができても、すばらしいアプリケーションやデータベースがあっても、その結論の論理性と有効性には大いに疑問符が付く。論理がつながっておらず、飛躍し過ぎているからだ。
そのため、燕市での課題解決プロジェクトにおいても、単にRESASといった便利ツールに頼ることや、データ(分析)から見えることを整理することに留まらず、しっかりと論理的な考え方のプロセスを踏むことに多くの時間を割いた。
具体的には、これらの課題は“なぜ起きているのか”という「要因」の議論だ。