量子技術で「究極のデジタルツイン」を目指す
寺部雅能氏(以下、寺部):まずは菅さんの略歴とともに、量子分野に携わるようになった経緯をお聞かせください。
菅義訓氏(以下、菅):私は元々、素材メーカーで材料設計の研究をしており、そこで、電子状態の計算や分子シミュレーションの経験を積みました。その後、燃料電池の研究に興味をもってトヨタ自動車に入社し、社内で同様のシミュレーション体制の整備を担当させていただきました。
弊社は自動車メーカーなので、私の世代では量子技術に携わってきた人材は多くありません。そのため、量子コンピューティングのプロジェクトを立ち上げる際に、関連領域に携わってきた私がプロモート役を担うことになりました。現在は豊田中央研究所と連携し、プロジェクト全体を統括させていただいています。また、社外でも、東京大学様やIBM社様が中心となって立ち上げられた、産学連携拠点である量子イノベーションイニシアティブ協議会(QII)を通じた活動などを展開しています。
寺部:自動車メーカーが量子コンピューティングに取り組む理由は何でしょうか。
菅:現代の自動車開発において、コンピュータによるシミュレーションは必要不可欠です。効率的な開発を進めるためには、さらに高レベル、高精度なシミュレーションが必要ですが、それには計算能力の飛躍的な向上が求められます。
現状ではシミュレーションできるモデル規模や精度には限界があり、シミュレーション対象は計算機の性能限界に合わせた問題規模に留まっています。量子コンピューティングの力を活用すれば、将来的に車両全体を極めて詳細にモデル化した上で、流体解析や構造解析など複数の構成方程式を同時に働かせ、より高レベル、高スピードでの開発が可能になります。また、各構成部品の設計や配置についても、量子コンピュータがより多角的な検討を可能にしてくれる可能性があります。
私たちのプロジェクトが掲げる目標は「究極のデジタルツイン」の実現です。試作品による実験は自動車開発において必要不可欠ですが、量子コンピューティングによるデジタルツインの力を活用すれば、実験をより効率的に行いながら、高い精度で性能を確保できると考えられます。さらに、この強力な計算能力は工場の効率化や社内外の物流効率化など、他の分野にも応用可能です。
寺部:エンドユーザーである製造業の企業としては、完成した技術を利用するだけで良いという考え方もあるかと思います。その中で自ら基盤技術に取り組んでいる背景についてお聞かせください。
菅:確かに私たちのゴールは「活用」です。ただ、コンピューティングの基盤的な技術に取り組むことで、量子コンピューティングの限界や可能性を理解した人材を増やし、実用化が実現した暁に新技術をしっかりと活用できる体制を整えることも、将来的な競争力のためには重要です。トヨタには「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」というフィロソフィーが根付いていますが、量子技術こそ、時流に先んじて取り組むべき分野だと考えています。
また、量子コンピューティングは、社内の研究開発だけでなく、製造や物流も含め、今後の世界で「最適化」をさらに進めて行くためにはキーとなる技術です。現在のAIの様に、量子コンピューティングも将来的には日常のあらゆる場面で活用される時代が訪れるのではないでしょうか。