本記事は『トランスフォーメーション思考 未来に没入して個人と組織を変革する』の「序章 30年後の未来から現在を見つめよう」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
シンギュラリティ大学での衝撃的な体験
最初に、ちょっとした思考実験をしてみよう。
もし近い将来、電力や食糧が完全に無料で提供される世の中になったとしたら、あなたの暮らしや社会はどう変わるだろうか。
まず個人レベルでは、働き方が変わるかもしれない。文字通り食べるためにあくせく働く必要がなくなるからだ。かといって、何もしない生活もすぐに飽きるだろう。何か新しいことを始めようと思うに違いない。
社会に目線を転じれば、少なくとも飢餓問題は解決する。しかし格差や貧困まで消えるわけではない。たとえば精神面のケアや教育などさらなる問題解決、またそれらが転じてさまざまなビジネスチャンスが生まれるだろう。それを受けて、あらゆる企業のあり方も変わるはずだ。
以上は、一見すると荒唐無稽な夢物語と思われるかもしれない。だがテクノロジーの急速な発展を前提とすれば、十分に可能性のある未来なのだ。そんな近未来の世界について真剣に語り合うために、世界中からリーダー層が集う特殊な教育機関が実在する。アメリカ・カリフォルニア州のNASAの研究施設内にある、シンギュラリティ大学だ。
大学といっても、学生の多くは大企業の執行役員レベル。近隣のシリコンバレー、日本企業ではソニーなどと連携し、世界最高峰のフューチャリスト養成教育機関を標榜する未来志向に特化した大学だ。もともとグーグル(Google)に所属していたフューチャリストのレイ・カーツワイルと、ピーター・ディアマンディスの2人によって2008年に創設された。
著者・堀田は同大学が主催する一週間弱の研修(エグゼクティブプログラム)に参加する機会を得た。新型コロナウイルスの影響でオンライン形式になったが、メンバーは世界中から集まった投資家や医者など多士済々。1プログラムにつき30~50人で回る。
そこで何をするのかといえば、ひたすら未来について語り合うことだ。
未来志向でもっとも大事な前提は、今後、技術は何もかも爆発的に進むということである。これからのあらゆる技術は、1、2、3と直線的ではなく、1、2、4、8、16といった具合に急速に進化していく。ではその進化の先にどんな世界が待ち受けているのか、何がどう変わるのかをそれぞれの見地から語り合おうというわけだ。
たとえばあと10年も経てば、ライフサイエンスやIoTなどの分野が劇的に変化していることは間違いない。現在、同時多発的に進化している技術の第一線にいるイノベーターたちが、その最先端のビジョンを共有することがプログラムの1つの目玉だ。
そしてもう1つ、プログラムの大きな柱は、参加者全員が序盤に目標を発表すること。ただそれは単なる経営目標や事業目標の類ではない。そのように急激に進む技術世界をふまえ、その急成長する未来において自分は具体的にどれだけ大きなインパクトを世界に残すのか、何ができるのかを大きなスケールで発表する。月にボールを飛ばすほど壮大で困難な目標に挑むという意味で、ムーンショットともよばれる。
私(堀田)の専門は人工知能(AI)なので、このとき掲げた目標は「AIによって、医者や弁護士を含むあらゆる専門家の生産性を100倍にする」であった。しかし、もちろんそれだけでは終わらない。ほかの参加者や講師陣を交えた質疑応答やディスカッションが行われるのである。
「100倍にすることにどういう意味があるの?」
「たとえば、いままで5万円かかっていた顧問弁護士料が500円になります」
「500円になると何が起きるの?」
「お金持ちではない人でも、顧問弁護士のサービスを受けられるようになります」
「そうすると世の中はどう変わる?」
「たとえば、解雇や減給などで大揉めする前に、すべての雇用契約などのリーガルチェックが行われるようになる。つまり、すべての人が法的に守られた世界になるんです」
こういう問答を繰り返していると、しだいに話は大きくなる。法律のみならず、財務や会計、医療などのあらゆるセーフティネットが完全に整った世の中を実現できるのでは、という議論に昇華した。
むしろ実現できている世界が当たり前で、そこに至っていない現実に違和感を覚えるようになる。こうしてイメージを徐々に膨らませ、未来に臨場感をもてるところが、このプログラムに参加する醍醐味である。
シンギュラリティ大学のプログラムについては後にくわしく述べるが、まず知っていただきたいことは1点のみ。世界には、近い未来についてこれほど真剣に討議し、技術の力で社会を大きく変えようとしている一群がいるということだ。
未来志向を徹底するフィードフォワードな問いかけ
シンギュラリティ大学で目の当たりにした事例を、もう1つ紹介しよう。
参加者の中に、「政府のレギュレーション(規則・規制)を根本的に変えて貧困問題を解決する」という目標を掲げた人がいた。発表後、今後の技術革新をふまえたディスカッションが繰り広げられたことにより、そこに再生可能エネルギーやロボット工学、さらにAIなどの見地も加わった。
その結果が、本章の冒頭で紹介した議論に発展したのである。テクノロジーの進歩により、近い将来にエネルギー価格も食糧価格もかぎりなくゼロに近づく。だとすれば、少なくとも世の中から飢餓は消滅するだろう。昨今よく議論される政府主導のベーシック・インカムより、よほど効率的でコストもかからない。
つまり、当初の「貧困問題をどう解決するか」というテーマから、「餓死のない世界で何が変わるか」というテーマに上書きされたわけだ。議論の中身も、「そういう世界で自分に何ができるか」「精神的な貧困問題をどう解決するか」に移行した。繰り返すが、ポイントは未来に臨場感をもつ者どうしで濃密な議論を戦わせることだ。
一般的に、企業の会議で何らかの提案があった場合、「本当に実現できるのか」「エビデンスはあるのか」といった観点で議論されるのがふつうだろう。現実に即してフィードバックが行われるわけだ。その結果、「リスクが大きい」とか「非現実的」などの理由で却下されることが少なくない。
しかし、シンギュラリティ大学での議論はまったく逆だ。高度に進歩した未来を前提としているため、提案に対して「それでは足りない」「もっとすごいことができるんじゃないか」といった意見が飛び交う。提案者はそこで新たな視野を得て、未来をより現実としてとらえるようになる。
私たちはこのプロセスをフィードフォワードとよんでいる。フィードバックが現実へ引き戻されるプロセスだとすれば、フィードフォワードは未来側の視点から引き上げられるプロセスといえるだろう。
こういう議論を何度も繰り返した後、最終日には参加者全員があらためてMTPを発表する。その内容は、当初のものよりずっと大胆で、なおかつその実現を確信できるようになる。ある種の覚醒状態に至るわけだ。
参加者はそのイメージを抱いたまま世界中に散り、それぞれの持ち場でMTPの実現に向けて奮闘しながら周囲を伝導・鼓舞する。これこそが、シンギュラリティ大学の真の狙いだろう。
同大学のMTPは「10億人にポジティブなインパクトを与える(Positively impact one billion people)」。直接的に教育するのはせいぜい数千人といったところだが、世界中のエリート層・リーダー層がターゲットなので、最終的にそこまで浸透すると踏んでいるのである。
違和感に突き動かされるトランスフォーメーション思考
実はシンギュラリティ大学での本当の衝撃は、プログラム中ではなくてその後にあった。というのも、これらのプログラムを通して、自分自身にとんでもない変化が起きていたことに気づいたのだ。あまりにずっと、とんでもない未来について話し続けていたがゆえに、もう未来視点でしか考えられないというほどに思考回路が以前と比べて入れ替わったのだ。
未来視点でしか考えられないというのはどういう状態かというと、たとえばこんな感じである。
「なんで空車表示のタクシーを見つけて、手をあげないと乗れないのか理解できない」
「なんでこんな高いお金を払わないと弁護士が雇えないのかわからない」
「なんでフードデリバリーに40分も待たなければならないのかがわからない」
このように、普段の生活や仕事の中のあらゆる場所で、「なんでこんなおかしいことになっているのか?」と違和感を抱くようになるのだ。
このような思考回路に入れ替わったとき、街を見渡せばすべてが大きなイノベーションのチャンスに見えてくるし、事業に対する見え方も根本から変化し、さまざまな抜本的アイデアを思いつくようになるのだ。
本書ではこれをトランスフォーメーション思考とよぶことにする。図A-1に、計画思考との違いを示す。計画思考もトランスフォーメーション思考も、目標地点と現状のギャップをどう埋めるのか、という議論では共通している。
根本的な違いは、思考回路が「目標にどう向かっていこうか」という次元ではなく、現状に対する「なんかおかしい」という違和感があまりに大きく、それが僕らの内側にある情熱をもっと強烈に突き動かすのだということ。
イーロン・マスクの言動をみていても、トランスフォーメーション思考で生きているのであろうことは推測にたやすく、シンギュラリティ大学でもまさにこれが狙いだったのだろう。