本記事は『失敗から学ぶ技術 新規事業開発を成功に導くプロトタイピングの教科書』の「Chapter5 プロトタイピング活用事例」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
デザインプロセスにおけるプロトタイピングの活用 パナソニック ホールディングス株式会社
パナソニック ホールディングス株式会社でイノベーションの推進を行うくらし基盤技術センターが実施する、高齢者を対象にした新価値創出を目的としたプロジェクトに筆者が参加。パナソニック ホールディングス株式会社と株式会社PRISMとともに、定量・定性リサーチ、リサーチ結果からのアイディエーション、アイデアのプロトタイピングを実施しました。
ここではプロトタイピングだけではなく、デザインプロセス全体を俯瞰的に捉えることで、プロトタイピング以外の手法とプロトタイピングとの関係性や連携方法を理解することを目的に、実施したデザインプロセスについて見ていきます。
4ヶ月間のデザインプロセス全体の設計
プロジェクトの目標は、ユーザーが抱える課題をクリアにし、その課題を解決するアイデアを4ヶ月程度で策定したうえで、その後のアイデアをブラッシュアップしていく活動につなげることでした。つまり、プロジェクト開始時点ではユーザーである高齢者の課題もわからなく、提供する価値も明確ではありません。この状態から4ヶ月間で、ある程度ユーザーに提供する価値が明確な状態に持っていく必要がありました。
そこでまずは、ターゲットユーザーである高齢者への理解を深めるためにリサーチを行い、ユーザーの課題を特定し、その課題を解決するアイデアを創出、その後アイデアをプロトタイピングするアプローチをとりました。
このスケジュールで実施したプロセスの流れを見ていきます。
ユーザーの課題と、課題を解決することにより得られる価値を見つけるためのリサーチと分析
まず、チーム内での現状の認識をすり合わせるため、デスクリサーチを実施し、ペルソナとカスタマージャーニーを制作。この時点でのペルソナやカスタマージャーニーは、プロジェクト開始直後のため、非常に粗いものになりますが、α版としてチームの中の認識をすり合わせる効果があります。
そして、ターゲットユーザーの高齢者についての理解を深めるためにインタビューによる定性調査、インターネットリサーチによる定量調査、チーム内の探索的なダーティーエクスペリエンスプロトタイピングを実施していきました。
定性調査:専門家・高齢者インタビューとKJ法による分析
定性的な調査として、地域包括支援センター勤務者や理学療法士、高齢者向けの実証実験経験者や研究者などの専門家と、当事者である高齢者を対象にインタビューを実施。高齢者を取り巻く社会的な構造や、その構造の中で高齢者の方々が何を感じ、何を思っているかについて解像度を高めていきました。
このインタビューの内容はすべて逐語でとり、30~50文字程度に編集をしてポストイットに書き出し、オンラインホワイトボードツール上に貼り出していきました。そしてそれらの大量の発言を、似た傾向があるものでグルーピングをし、グループの名前をつけることで、高齢者についての認識していなかった気づきを抽出していきました。
定量調査:インターネットリサーチを活用した相関分析やクラスター分析
定性調査を行いながら、定量調査として、並行して高齢者を対象としたインターネットリサーチを実施しました。このインターネットリサーチでは、家族と会う頻度やコミュニケーションに関する事柄などについて質問。回収したデータを単純集計や相関分析にかけて、データ全体の傾向を把握。この結果から「女性は社会的な交流に不満を覚えると、新しい人との関わりを求め外出をする。配偶者と暮らすことでさみしさはまぎれるが、社会的な交流が満たされるわけではない」などの気づきを抽出していきました。
また、データをいくつかのクラスター(集団)に分けることができる分析法であるk-means法を用いてデータをクラスターに分類、ターゲットである高齢者がどのような傾向を持つクラスターに分類されるのかを明らかにしました。
探索型プロトタイピング:チーム内での高齢者の感覚の体験
さらに、本プロセスでは探索的なプロトタイピングとして、仮説として持っていた「高齢者の身体感覚はチーム内メンバーの身体感覚と異なる」を確認するためのダーティーエクスペリエンスプロトタイピングをチーム内で実施しました。このプロトタイピングは、実際に体験することで気づきを得たり、コンテキストを理解するためのプロトタイピングです。
具体的には、VRツールを活用して高齢者の状態を体験。それに加えて高齢者疑似体験セットを通じてターゲットユーザーの身体的な機能がどのようなものであるかを体験しました。これにより「身体的な機能の制限が精神的な要素に対しても影響を与える」という気づきを獲得。また、チームの中で高齢者の身体的な機能に対する共通の認識を得ることにつながりました。
この探索的なプロトタイピングでは、仮説を確認するために体験をする方法はしっかりと設計しましたが、評価はチーム内のコミュニケーションとしての認識の共有と、気づきの学習が目的であったため、簡易的にチーム内でディスカッションで行っています。
各種リサーチの統合:ペルソナとカスタマージャーニーのアップデート
そして、定性調査で実施したインタビューの結果と、定量調査で分類したクラスター、探索型プロトタイピングでの体験を踏まえて、最初に策定したペルソナとカスタマージャーニーをアップデートしていきました。この時点で、質的データと量的データから高齢者に対するチームの理解はプロジェクト開始時と比較して深くなっているので、ペルソナとカスタマージャーニーの精度も高くなります。
リサーチ結果からのアイディエーションと並行プロトタイピング
リサーチを行った結果から、ターゲットユーザーである高齢者はどのような課題を抱えているのかを検討しました。そして、特定した課題を解決できる問いの形に変換していきます。例えば「どうしたら移動の総量が増えると孤独の総量が減ることを認識できるだろうか?」などです。
このような問いを解くアイデアを考え、約100点のアイデアを創出。そしてその中から10アイデアほどを抜粋。そのうえで評価軸である「ペインへの対応性」「新規性」「実現可能性」などを踏まえてアイデアを選定。4つのアイデアのプロトタイピングシートを同時に埋め、並行してプロトタイピングしていきました。
以上が1回目のスプリントです。2回目のスプリントでは、さらに新しい問い、問いから創出された新しいアイデアを考え、再度3つのアイデアを並行してプロトタイピングを実施しました。
つまり、本デザインプロセスでは1回目のスプリントで4つのアイデアのプロトタイピング、2回目のスプリントで3つのアイデアのプロトタイピングを並行して実施しています。並行してプロトタイピングをした理由としては、プロトタイピングを実施した時点では、リサーチを通じて解決するべき高齢者の持っている問題や課題は特定できていたものの、どのように解決するかのアイデアは絞れていない状態です。
この時点で解決策であるアイデアをひとつに絞ってしまうと、そのアイデアが問題を解決することにつながらなかった場合、また振り出しに戻ってしまいます。そのため、アイデアを複数並行してプロトタイピングすることで、アイデアの見直しと再検討をしやすい状況にしました。そして、複数並行してプロトタイピングをするためには、それぞれのアイデアをプロトタイピングする際に早く・安く実行することで工数の削減をしていく必要があります。
デザインプロセスにおける各手法とプロトタイピング
以上のように、本プロジェクトにおいては当初、ユーザーの抱える課題と価値が見えていない状態でした。そのため、課題と価値を探るため1ヶ月半程度の時間を費やしています。これは、ユーザーである高齢者の状況や持つ課題を我々プロジェクトチームがそこまで理解していなかったため、その理解に時間をかけたほうが、より正確な価値の導出につながり、結果として再度課題と価値を見つけ直すよりも早くなると判断したためです。
基本的に、プロトタイピングは価値から考えていきます。その価値を見つけるためのアプローチとして、インタビューもあれば、アンケートもあれば、探索的なプロトタイピングもあるのです。それぞれ、手法の名前は異なるとしても、実施することでユーザーの理解を深めて気づきを得て、課題を見つけアイディエーションにつなげ、価値を見つける、という目的のもとでは同じ役割を果たします。
そして、価値がある程度見えたらその価値を具体化するようなプロトタイピングを実施していきます。その際には、早く・安く・何度も・並行して行うことが重要です。