自律社会の先にある「自然(じねん)社会」とは
自律分散的に協力しあって一つの目標を達成することが当たり前になると、社会そのものが「自律社会」として、協力的に課題を解決していく風土が根付いていくはずです。これは、現在、多く用いられている中央集権の最適化を行うAIだけでは達成できず、自律分散的なAIと自律分散的な社会の仕組み作りを行うことによってはじめて達成できます。
そうした自律社会の先にある社会像として、私は「自然(じねん)社会」を提唱しています。「自然(じねん)」とは、「自(おの)ずから然(しか)る」、すなわち「あるがままの状態」を意味する仏教用語の一つで、日本古来から伝わる自然(しぜん)に対する考え方の一つでもあります。私たち人間も自然の一部と考え、自然を「あるがままの状態」として受け入れることによって、自ずと「よい状態」が実現するという考え方です。