なぜ「企業内革命家」なのか?
この連載を通じて筆者が皆さんに伝えたいこと、それは「企業内革命家のすすめ」である。
なぜ「革命家」ではダメで「企業内革命家」なのか。答えは単純で、この世界を変えようと思ったら企業を変えるのが一番手っ取り早いからだ。
嘘だと思うのなら、いまその場で、目を上げて周囲360度をグルリと見回してみればいい。目に入ってくるものの90%以上が、どこかの企業によってつくられたものだということに気づくはずだ。僕らの人生の99%は、企業によって生み出されたものを、食べたり、飲んだり、観たり、着たり、乗ったり、捻ったり、振り回したり、投げたり、叩いたり、かき鳴らしたり、弄ったり、壊したりすることに費やされている。
したがって、企業が変われば世界が変わる。世界を変えようと思うのであれば、企業を変えるのが一番手っ取り早い。
企業の変え方-経験から学ぶのか、歴史から学ぶのか?
さてと、ではどのようにすれば企業は変えられるだろうか?
まず企業を「ヒト・モノ・カネというインプットを投入して、それらを経済価値に変換するシステム」と考えてみよう。そのうえで過去に成就した革命をならべてみると、システムを変えるには大きく二つのやり方があることがわかる。
まず「外側からでかいハンマーでぶっ壊す」というのが一つ目のやり方だ。毛沢東やレーニンといった、ある意味で「わかりやすい」革命家が採用したのはこのアプローチで、いわば革命家の定石(そんなものがあればという話だが)といえる。
つぎに「システムの中央制御室に入り、強制終了ボタンを押す」というのが二つ目のやり方だ。一見すると派手さがなく、革命のカタルシスは得られないかも知れないが、これはこれでまた一つの定石といえる。このアプローチを採用したのが、他でもない我が国の明治維新であり、ミハイル・ゴルバチョフだった。
結論からいえば、筆者が皆さんにお勧めするのは二番目のアプローチである。
なぜかって?一番目のアプローチは多くの人がトライし、ほとんどが討ち死にしてきたからだ。この道は死屍累々で決してお勧めできない。特にここ五十年ほどのあいだは、多くの人が「世界を変えよう」と叫んで、一番目のアプローチに人生を投じてきた。
たとえば、髪を伸ばし、マリファナを吸い、ロックを聴き、郊外のフェスティバルに集まってアナーキズムを訴える。山奥ふかくに道場をつくり、奇妙なヘッドギアをつけ、教祖のメッセージをひたすら聴き、野菜の煮物を食らう。偽造パスポートをつくり、機関銃を入手し、外国の空港でそれを乱射し、資本主義の終焉を叫ぶ。民間航空機をハイジャックし、国交のない共産国に亡命し、世界同時革命への決起を呼びかける。
20世紀の後半、何千人、いや何万人という人が、世界を変えると叫んでこういった活動の中に身を投じていった。で、結果はどうだったか。チーン、ナッシング。残念ながら成果はゼロ。こんなアプローチが多少でも有効だったのはせいぜい十九世紀末までのことで、二十世紀後半以降の世界でこんなことをやってもシステムはびくともしない、ということを歴史は明らかにしてくれた。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」といったのは初代ドイツ帝国の宰相ビスマルクである。僕たちは愚者であってはならない。教科書読めよ。ということで、一つ目のアプローチは、あり得ない。