本記事は『心理学に学ぶ鏡の傾聴』の「第5章 セルフ傾聴で楽に傾聴できる人になる」から抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
セルフ傾聴とは?
傾聴する意味は、他者から傾聴されることで「話し手自身が自分を傾聴できるようになる」ことです。ここでで説明するセルフ傾聴とは、自分を傾聴すること、あるいはその方法です。
他者への傾聴と同様に、体験、確認、内省をしていきますが、他者への傾聴とは違い、その作業を自分1人でやっていくのがセルフ傾聴です。
セルフ傾聴の基本的な流れ
- 〈体験の鏡〉自分の体験を心の鏡に映し出して、追体験する
- 〈確認の鏡〉自分の心に映った気持ちを受け止め、しっくりくるか確認する
- 〈内省の鏡〉しっくり感を内省しながら再度、追体験の意味を受け止める
自分の心の聴き方と、他者の心の聴き方が同じことが体感として理解できるようになると、他者への傾聴の理解度が増すのはいうまでもありません。また、自分を傾聴できるようになると、今の自分の心に添った生き方を見つけやすくなります。
日常生活に忙しい私たちは、自分を傾聴するという発想をもっていません。「〇〇すべきだ」「〇〇しなければいけない」「もっと頑張れ」「成長しろ」「欠点を直せ」と、社会の常識や自分自身からの叱咤激励の中で暮らしています。
そうして自分の心の声を無視し続けているうちに「自分は何者なのか?」「何をしたい人なのか?」と、自分自身を見失いがちです。
日常的にセルフ傾聴ができるようになることで、自分との関係がよくなり人間関係のストレスが減るので、人生は生きやすくなります。
自分の体験を心の鏡に映し出して、追体験する
セルフ傾聴での追体験のポイントは次の通りです。
- ポイント1 必死にならない
- ポイント2 「かなぁ」をつけて理解する
- ポイント3 「セルフトーク」を認めて放っておく
- ポイント4 修正しながら進む
- ポイント5 わからない感じは尋ねる
聴く対象が自分自身なので、ポイント3だけ「聴き手の世界」から「セルフトーク」に変わります。
自分の気持ちを簡単にセルフ傾聴する方法
「自分の気持ちに耳を傾けましょう」といわれても、具体的な入り口がわからないとやりにくいでしょう。
でも、それが簡単にできる方法があります。ポイントは「セルフトークを聴く」です。セルフトークとは、心の中の独り言「自己内発話」(筆者造語)のことです。
人は1日中、この無意識に湧き上がってくるセルフトークを聞きながら暮らしています。
例えば、こんな経験はないでしょうか。
- おいしそうなケーキがたくさん並んでいるショーケースの前で、「どれにしよっかなー」という声が、心の中で聞こえた
- 明日の休日、予定が何もないことに気がついて「明日何しようかなぁ」という声が、心の中で聞こえた
- 自分は悪くないのに上司から怒られて「私のせいじゃないのに」という声が、心の中で聞こえた
人は、見る、聞く、話すなどのささいな経験からでも、必ず何かを感じます。そして、その「感じ」たことは、瞬時に言葉に変換されます。実際に声に出てくる言葉もありますが、「感じ」から生まれてきた言葉の多くは心の中だけで発せられ、心の中でしか聞こえません。
このように意識的にしゃべろうと思っているわけではないけれど、無意識に言葉が湧き上がって勝手に聞こえてくるセルフトークが、あなたの気持ちです。
- 「どれにしよっかなー」という気持ち
- 「明日何しようかなぁ」という気持ち
- 「私のせいじゃないのに」という気持ち
聞こえてくるセルフトークを理解したら、その瞬間あなたは自分の気持ちを理解したことになります。
人は無意識に1日中セルフトークをしています。特別なことをしなくても、自分の気持ちを知ろうと思えば、セルフトークからいつでも知ることができるのです。
セルフトークを聞き流していると、セルフトークに込められている自分の気持ちが理解できないまま流れて消えていきます。気持ちの理解は、セルフトークを理解する「だけ」でいいのです。
セルフトークが、本当の気持ちなのかを確認する方法
聞こえてきたセルフトークが、本当に自分の気持ちを表しているのかを判別するには、セルフトークの語尾に「〇〇と、私は思っている」や「〇〇と、私は感じている」という言葉を足してみるとわかります。それで意味が通じれば、それはあなたの気持ちです。
- 「どれにしよっかなー」と、私は思っている
- 「明日何しようかなぁ」と、私は思っている
- 「私のせいじゃないのに」と、私は思っている
- 「なるほど!」と、私は感じている
- 「この人、何言ってるのかわかんない」と、私は感じている
ここまで説明を読んだあなたの中には今どんなセルフトークが聞こえてきたでしょうか。「なるほど!」でしょうか? 「この著者、何言ってるのかわかんない」でしょうか? 前者であることを祈ります。
聞こえてくるセルフトークに着目することで、セルフ傾聴を始めるきっかけがつかみやすくなります。
セルフトークが簡単にわかる「かぎ括弧」の法則
では実際に、人が自分の感じたことをどのようにしてセルフトークとして表現するのかを、例文で見てみましょう。
次の文章を読んでみてください。
ファミレスにランチを食べに来たAさん。
席につき、何食べようかとメニューをパラパラとめくり始めたら、まずミートドリアが目に留まりました。
これはどうかなぁと一瞬考えましたが、今日はドリアの気分じゃない気がしてやめました。
他にないかなぁと、メニューを行ったり来たりしています。
小エビのサラダ、ハンバーグステーキ、ピザ、カルボナーラ……。
カルボナーラ、これはないなと思いました。でも、たらこパスタに目が留まった瞬間、これだと思って、今日のランチはたらこパスタにしました。
この文章にはAさんの心の中でセルフトークが聞こえていると思われる箇所がいくつかあります。どこでしょうか?
答えはセリフのように見えるところ、つまり「かぎ括弧」がつきそうなところを探すとわかります。
先ほどの文章に、かぎ括弧をつけてみましょう。
ファミレスにランチを食べに来たAさん。
席につき、「何食べようか」とメニューをパラパラとめくり始めたら、まずミートドリアが目に留まりました。
「これはどうかなぁ」と一瞬考えましたが、今日は「ドリアの気分じゃない」気がしてやめました。
「他にないかなぁ」と、メニューを行ったり来たりしています。
小エビのサラダ、ハンバーグステーキ、ピザ、カルボナーラ……。
カルボナーラ、「これはないな」と思いました。
でも、たらこパスタに目が留まった瞬間、「これだ」と思って、今日のランチはたらこパスタにしました。
- 「何食べようか」→モヤモヤした感じ
- 「これはどうかなぁ」→しっくり感を確認している感じ
- 「ドリアの気分じゃない」→しっくりきていない感じ
- 「他にないかなぁ」→決めきれない感じ
- 「これはないな」→違う感じ
- 「これだ」→ピッタリきた感じ
かぎ括弧をつけた部分はAさんの心の中で発せられ、心の中で聞こえていたセルフトークです。こんな風にセルフトークは、セリフのように聞こえていることが多いのです。
他者への傾聴への活かし方
かぎ括弧の法則は、他者に傾聴する際もそのまま使えます。
話し手の発言の中でセリフのように発せられた言葉は、話し手が感じていることを表すキーワードであると考えることができます。
そのキーワードを聴き手がくり返すことで、話し手にとっては自分の体験を追体験することになり、自己理解を深めるきっかけになるのです。
Aさんが話し手で、あなたが聴き手なら次のようなくり返しの応答ができます。
例文では、くり返しのさまざまなバージョンを使ってみます。
-
「何を食べようかと、思ったのですね」→迷う感じへの応答
「ですね」で終わるくり返し -
「これはどうかなぁ……」→決めきれない感じへの応答
「……」で漂う感じのくり返し -
「ドリアの気分じゃない」→↓しっくりきていない感じへの応答
「言い切り系」のくり返し -
「他にないかなぁ……と」↓いろいろ検討したい感じへの応答
「と」止めのくり返し -
「これはないな……という感じ」↓違う感じへの応答
「感じ」止めのくり返し -
「これだ……これだ」↓ピッタリきた感じへの応答
大事なキーワードはしっかり「2回」くり返し
自分のセルフトークを理解するのに慣れていれば、話し手の気持ちへの応答がしやすくなります。
自分を「言い聞かせる」セルフトークは聞き流す
ここまで説明してきたセルフトークは、何かを感じた瞬間に自分の中で自然と湧き上がってくる「聞こえてくる」セルフトークでした。
セルフトークには他にも、意図的に自分に何かを言い聞かせようとするときに使う「言い聞かせる」セルフトークがあります。「頑張れ!」「あきらめるな!」「気にするな!」「しっかりしなきゃ!」「ちゃんとやらなきゃダメだろ!」「気づけ!」「欠点を直せ!」などです。
言い聞かせるセルフトークも心の中で聞こえます。しかしこれらは自分を否定するために、頭で考え意思をもって語られる自分を毒する自己否定のセルフトークです。言い聞かせるセルフトークが聞こえてきたときは、「出てきたな」と確認した上で、そのまま聞き流しましょう。
特定のテーマについてのセルフ傾聴
次は、悩みや気になることなど、特定のテーマについてセルフ傾聴する方法を、例文を使って紹介します。
実際に、私が気になっていたロードサービスの日本自動車連盟(JAF)の会員契約を更新するか、しないかについて行ったセルフ傾聴の例です。
毎年4月が近づくとJAF会員の契約を更新しようか悩みます。
数年前に自動車を買い直したときに、ディーラーさんとの付き合いで加入しました。
でも正直、カラオケ代が毎回5%程度割引になるだけで、他には利用しません。
年30回位1人カラオケに行くとはいえ、JAFの年会費には遠く及ばず、元は取れていません。お金のことだけを考えたらすぐにやめたほうがよいのは明白です。
でも、何かやめてはいけない気がするのです。
このテーマについて考えていたとき、実際に私の心の中で聞こえていたセルフトーク「やめちゃいけない気がするんだよなぁ」(例文中のサイドライン部分)を入り口にして、セルフ傾聴を進めました。
- JAFについて頭の中でイメージを思い起こす
- 思い起こすのと同時に「やめちゃいけない気がするんだよなぁ」とゆったりと何度も心の中でくり返しながら追体験を試みる
- ときどき、こんな質問を自分に投げかける
「JAFの何が気になるのかなぁ?」「JAFのどこが気になるのかなぁ?」「何かやめちゃいけない感じはどこからくるのかなぁ?」「JAFって自分にとってどんな意味があるんだろうか?」
考えて導き出そうとするのではなく、JAFについて思い浮かべながら「やめちゃいけない気がするんだよなぁ」を感じ続けます。
ただそれだけをしばらく続けていると、こんなことが思い浮かんできました。
【第1の気づき】私が小学校1年生のとき、父が買ったホンダのアコードと父の姿が思い浮かんできました。はじめてわが家にきた車に、うれしくて興奮していたのを覚えています。そのアコードの後部ガラスにJAFの丸いシールが貼ってありました。
そこから私は「大切な車はJAFに入っているものだ」そんな風に思っている自分がいることに気がつき、その気づきは確かにスッと、ふに落ちる感じがありました。
【第2の気づき】またしばらく、セルフ傾聴に戻ると今度は、私が小学校3、4年生の頃、母が冬山で自動車事故を起こしたことがよみがえってきました。
雪がだいぶ積もっている冬の休日に、霧ヶ峰高原にスキーに行った帰り道、母と私が乗った車がスリップして山林に突っ込んでしまったときの記憶です。
2人にケガはなかったものの、はじめての大きな自動車事故で母も私もショックを受けていました。当時、携帯電話はなかったので、たぶん通りすがりの誰かが警察に連絡をしてくれたのでしょう。ひとけがない雪に囲まれた寒い山林の中で、心細く救助がくるのを待っていた記憶が思い出されました。
確かにあのとき、JAFの車がきて母の車をけん引してくれたのです。そして、この記憶は定かではありませんが、そのときJAFの車に乗せてもらって山を下りたような気がします。「そっか、いざとなったらJAFが助けにきてくれるんだ」そんなことは、とうの昔に忘れていましたが、その体験が何か今回の件に関係があるような気がしました。
先ほどのセルフトーク「やめちゃいけない気がするんだよなぁ」と、「大切な車はJAFに入っているものだ」「心細いときに助けてもらった」とを照らし合わせてみてもしっくりくるので、私が気になっていた原因の大きな部分を占めているような気がします。
もう少しだけセルフ傾聴を続けてみたら、最後にもう1つ、家族旅行か食事に行ったときに、母が「今回はJAF会員の割引で安くなったんだよ」と言っていた、その場面が脳裏に浮かんできました。これは思い込みの可能性がありますが、「JAFで得したことがある感じ」は、確かに体に残っているのです。
当初感じていた、何となくやめづらい感じの意味を、はじめて知ることができた気がしました。そして、継続するかどうかという現実の問題に対して、目先の損得だけでなく、ここで気づいた気持ちも加味した上で、すっきりした気分で継続するか否かを選択できました。このように特定のテーマについて、セルフ傾聴を使った自己探求を私は日常的によくやっています。
他者への傾聴への応用
基本的な流れは他者の話を聴くときも、セルフ傾聴するときも同じです。
- テーマについてありありと思い浮かべる
- 話し手が使っているセルフトークも手がかりにしながら、追体験を試みる
- 話し手の体験に興味をもって聴く
「それについて、話し手は何が気になるのかなぁ?」
「それについて、話し手はどこが気になるのかなぁ?」
「その感じは、話し手の内側のどこからくるのかなぁ?」
「それは話し手にとって、どんな意味があるのかなぁ?」
怒りが湧いてきたときのセルフ傾聴
前の例は、好きなときに好きなテーマについて自由にできる、セルフ傾聴でした。次は怒りやいら立ちなど、生活の中のある場面で特定の感情が湧き上がってきたときの、セルフ傾聴について説明します。
ハッキリした感情が出る前や感情が出ている最中に、自分が感じていることをセルフ傾聴すると、感情的になりすぎず、自分にも相手にも誠実に関われます。この流れを、私が息子に腹を立てたときの実例を基にして見ていきます。
ある日、食器洗浄機から食器棚に洗い終わった食器を移していたら、食器がだいぶ減っていることに気づきました。犯人には心当たりがあります。息子です。
息子は最近、食卓で食べずに自分の部屋に持ち込んで食べています。食べ終わってすぐ食器を返してくれればいいのですが返しません。だからコップと皿がどんどん減って、使いたいときに使えないのです。
それに、しばらく放置された食器は、汚れを落とすのも大変になります。
何度も注意していますが、改善の兆しが見られません。
さすがにイラっときて、息子の部屋に向かいました。
案の定コップと皿が溜まり、部屋に嫌な臭いがします。
何もせず、感情的なまま息子の部屋の扉を開けたならおそらく「ふざけんな! 部屋に食器を持ってくるなって言っているだろ!」と汚い言葉を浴びせかけていたでしょう。
でも、息子の部屋に向かう途中に、すでに感じていた「ムカムカする感じ」を少しセルフ傾聴しながら部屋に向かったことで、感情的な言葉を言わずに済みました。
私は、息子の部屋に向かい始めた瞬間から「怒り出しそうな予感」を覚えていました。
頭に血が上る感じがあり、心臓の鼓動が早くなり、体にワナワナとした感覚が走っていました。
「このままだと間違いなく激しく怒るぞ」そんなセルフトークが聞こえてきました。
私はその「怒り」はいったい自分の内側のどこからくるのだろうかと、問いかけてみました。すると、いくつか心当たりが出てきます。
- 何度も言うのが、面倒だと感じている
- 何か言っても理解されず、自分が無視され、ないがしろにされている感じがしている
- 必要なときに食器がないとわざわざ取りに行ったり洗ったりで、忙しいときは特に困ると感じている
- 日々忙しいのに余計な時間をかけさせられることに、自分が邪魔をされている感じがしている
大部分は、これらで網羅されている気がしました。
特に、何回も言う手間、皿を取りに行く手間、洗うのに余計に時間がかかる手間、そういう「手間が増える」ことが嫌なのです。
手間さえ増えなければ、臭かろうが何だろうが何とも思わない、だから手間が増えることにイラっとくるのは、それに困っているだけなのだと気がつきました。
次に「私はなぜ、手間が増えるとイラつくんだろうか?」となぜそのような感情にならざるを得ないのか自問してみます。そうしたら、それは普段から「毎日忙しい」と感じているから、手間が増えるのを苦痛に感じているのだとわかりました。
息子が私を怒らせているのではなくて、私の中には「忙しいから手間が増えると困る」と思っている自分がいて、そこが脅かされそうになったので怒りたくなっているのだと理解しました。
「息子の原因が半分」「自分の原因が半分」そう思えたことで、感情的になりすぎず次のように伝えることができました。
「お父さん、いつも忙しくて余裕がないからさぁ、必要なときに食器がなかったり、手間が増えたりするとイラっとするのよ。だから、食器はまめに台所に持って行って、自分で洗ってくれない?」
決して優しい口調であったとは言い切れません。でも、感情爆発モードが100%なら30%くらいの強さです。
息子はすぐに、食器を持って台所に行きました。
息子がどう思ったかは、わかりません。
でも、感情を爆発させずに済んだこと、そして自分の気持ちを織り交ぜて伝えられたことに、あのときはあれが精いっぱいの言い方だったと自分で納得しています。
私はセルフ傾聴ができるようになったことで、イライラしながら聴くことも、感情を爆発させてしまうことも明らかに減りました。
感情的なまま関わると、後悔することが増える
なぜ自分の気持ちを伝えると感情的になりにくくなるのでしょうか。
先ほどの私の場合、自分が思っている自己概念(私は理解がある親であり、子どもとの良好な関係を保ちたい)と、実際の体験(子どもを傷つけない)が一致するからだと思います。
一致
〈自己概念〉私は理解がある親であり、子どもとの良好な関係を保ちたい
〈体験〉怒りを爆発させて攻撃せず、自分の感情を伝えられた
不一致
〈自己概念〉私は理解がある親であり、子どもとの良好な関係を保ちたい
〈体験〉感情任せに怒る
一致について、例えば「子どもが言うことを聞かないのだから、怒るのは当然だ」という自己概念があり、実際にそのように行動すれば、それは一致になるのか? という疑問があるかもしれません。
確かに、子どもが食器を片付けないことに対して怒りを感じ、その怒りを直接的な言葉で表現することで、その瞬間の自己概念(私は怒っている親だ)と、体験(子どもが食器を片付けない)との間に一致が見られるかもしれません。
しかし、この直接的な表現は、深いレベルでの自己概念、例えば「私は理解がある親であり、子どもとの良好な関係を保ちたい」という価値観とは、不一致を生じさせる可能性があります。もし罪悪感を覚えるのであれば、深いところにある自己概念と体験が不一致を起こしていると考えるのが自然です。
改善しないで受容、共感する
人の話を聴いている最中、こんな思いになった経験はないでしょうか。
- 相手の意見を否定したくなる
- 相手の言い分を聴き切る前に、どうしても反論したくなる
- 頼まれてもいないのにアドバイスをしたくなる
- 人が話している最中に、話題を横取りして自分の知識や経験を披露したくなる
あるいは逆に、気持ちが引いてしまう聴き手もいるでしょう。
- 興味がない話に気持ちが引いてしまい、ちゃんと聴く気になれない
- 人の話を分析的に聴いてしまい、気持ちに耳を傾けられない
もし傾聴がうまくなりたいなら、自分の中に湧き上がってくる気持ちを抑圧したり改善したりしようとせず、むしろ「理解」してあげるのがお勧めです。
欠点を見つけて直そうという常識的な「改善思考」が、自己理解を妨げる原因になります。傾聴は欠点を見つけて、直させることではありません。
自分の中に改善思考が強く、受容・共感的思考が弱いと、他者の話を受容、共感で傾聴するときに自己矛盾が起きやすく、不一致になりやすく聴いていて苦しくなります。苦しいときは傾聴をやめるという選択肢もあります。でも傾聴をしたいなら、自己概念を一致させるためにも、困っているなら困っていると自分の感情を伝えたほうが、自分にも相手にも誠実です。
セルフ傾聴ができると、自分の感情がわかりやすくなるので自己概念に一致した表現をしやすくなります。