技術転用から新市場を開拓する新陳代謝がDNAに
宇田川元一氏(以下、敬称略):まずはヨコオさんがどのような会社なのか、その沿革を聞かせていただけますか。
深川浩一氏(以下、敬称略):はい。創業が1922年で、一昨年に100周年を迎えました。現在はグローバルで約9,000名の従業員がおり、主な事業として車載用アンテナが全体の約6割を占めます。日本ではマツダさんを除く全ての自動車会社、海外はゼネラル・モーターズや中国やインドの新興の会社とも取引をしています。
2番目に大きな事業が半導体検査用の治具で、インテルやクアルコムなど世界の半導体会社のほぼ全てが私たちのお客様です。他に携帯端末用のコネクタ、医療用の機器も生産しています。これらに加えて、昨年インキュベーションセンターという事業も立ち上げ、モノではなくソフトウェアや“こと売り”に取り組んでいます。
創業時は、実は自転車関連業だったんです。自転車には金属製のスポークがありますよね。創業者はパイプ加工技術を得意としていまして、1928年に「バネ棒」というものを発明しました。その頃普及し始めていた腕時計の、ベルトと時計本体をつなぐ部品です。
宇田川:あれはヨコオさんの発明なんですか!
深川:そうなんです。このバネ棒の技術を応用し、1956年にはロッドアンテナの生産も始めました。これは昔のテレビやラジオに付いていたパイプが伸縮するアンテナですが、全盛期は世界シェアの7割近くを占めていました。
宇田川:自転車関連業として金属パイプを扱っていたところからバネ棒の発明へという事業の飛躍が、その後の成長のきっかけになっているんですね。
深川:はい。バネ棒の技術からロッドアンテナを手掛けたことで、電波技術や高周波技術を応用して車載用のアンテナへと展開していくことになりました。
ロッドアンテナとは逆に、バネ棒を極限まで小さくする方向で応用したのが半導体検査のための針(プローブ)です。これは1970年代から事業化しています。同様にバネ棒の技術からモバイル機器用のコネクタにも進出し、そこで集積された微細精密加工技術を使って医療用の機器にも参入したという流れです。
宇田川:すごいですね。
深川:これだけ聞くと順調ですが、撤退した事業もあります。パイプ技術を活かして金属バットやゴルフシャフトも生産していたことがあるんです。金属バットはかなり売れて、PRのために持っていた女子野球チームが優勝したこともあります。ゴルフシャフトも一時は非常に伸びました。それでも、カーボンが出てきたときに潔く撤退しました。
初期の携帯電話用のアンテナで非常に高いシェアを持っていた時期もありました。しかしアンテナそのものがデバイスの中に吸収される形になり、撤退しました。こういう形で、片方で撤退をしながら新しい領域を開拓する、ということを愚直に繰り返してきました。