本の未来は明るい──「神保町ブックセンター」の描くブックビジネスの未来形

神保町交差点の東、旧・岩波ブックセンター跡地に生まれた「神保町ブックセンター with Iwanami Books」。岩波書店の本がずらりと並んだ本棚に囲まれたブックカフェ、コワーキング、イベントスペースによる複合施設だ。運営しているのは、岩波書店ではなく、まちづくりなどを手がける会社 UDS。出版不況が語られる中、あえてこのまちに人を呼び寄せ、「本の未来」を多くの人に伝えたいというのが、この場所を起ち上げたUDSの代表取締役社長の中川さん、ブック・コーディネーター内沼さんたちの願いだ。

[公開日]

[取材・構成] 京部康男 (Biz/Zine編集部)

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神保町の本のメッカを残すために

東京・神田神保町。世界遺産的とも言われる本の町だ。この町で長年、読書人に親しまれてきた人文書を中心とした「岩波ブックセンター」が閉店したのは、2016年。きっかけはこの場所で岩波ブックセンターを経営していた信山社の会長が逝去し倒産したことだ。そしてこのビルのオーナーである岩波書店がテナントを募集し、UDSという会社が複合商業施設を運営することになった。

経済条件を考えれば私たちより良い条件のお話はたくさんあったかと思いますが、本のメッカのまちで岩波さんが築いてきたシンボルを消すわけにはいかないという強い思いで提案をさせていただきました。ある意味おせっかいではあるのですが(笑)。(中川さん)

UDSは小田急グループではあるが、岩波とは何の資本関係もなく、出版にも門外漢。そんなUDSが、老舗出版社の岩波書店に受け入れられるのか。そこで、中川さんは、岩波の岡本社長に会うことを決意。神保町のランドマークであり岩波の創業地としての歴史を残したいという情熱を語る。岩波書店としては、様々な判断があったが、最終的にはUDSに決まった。岡本社長の答えは「岩波にあまりこだわらず、“本の愉しさ”を伝えていってほしい」というものだった。

UDSの「企画の哲学」へのこだわり

UDSは、「企画の哲学」にこだわる会社だ。これまでの地方のホテルや商業施設を手がけてきた手法を社内で継承しようとしており、慶応大学の井庭崇研究室との共著『プロジェクト・デザイン・パターン』(翔泳社)にまとめている。
中川さんにもまちづくりに対する「持論」がある。それは「その場所の人と物語を知る」というものだ。

「地域や街には必ずその土地の歴史や物語に詳しい“語り部”がいます。まずその人たちの話を聞き、その土地のストーリーを参考にします。」(中川さん)

神保町という場所を知る人に会い、ストーリーを企画に練り込む。そのために岩波以外の人にも街の話を聞く必要があった。中川さんが話を聞きに行ったのは、三省堂書店の亀井忠雄社長だった。亀井社長は「神保町を元気にする会」の会長でもある。亀井社長から、三省堂と明治大学のつながり、周恩来や中国人留学生と中華料理店の関係などの話を聞いた中川さんは、「本を媒介にしてまちに開かれた拠点を創る」というコンセプトをさらに深めていった。

ブック・コーディネーター内沼さんがジョイン

UDS 代表取締役 中川敬文氏/NUMA BOOKS 内沼晋太郎氏

ブックカフェのイメージを企画する中で、中川さんが声をかけたのが、NUMA BOOKSの内沼晋太郎さん。内沼さんは、「メディアとしての本屋」の可能性を追求するブック・コーディネーター。

内沼さんが運営する下北沢の「本屋B&B」は、ほぼ毎日著者によるトークイベントが行なわれる。また青森では「八戸ブックセンター」を、みんなで本を読むクラブイベントやブックカバーなどのグッズ販売、企業や公共施設の本など「人が本を好きになる仕掛け」を次から次へと展開している。

UDSとはこれまでも新宿のインバウンドビジネスをテーマにしたコワーキングスペース「INBOUND LEAGUE」で関わってきた。

中川さんからのオファーを受けて内沼さんは、自分が気にしていた神保町の岩波ブックセンターの跡地の話だと知り驚く。「これは生半可な企画ではなく、本気で取り組まなければ神保町の人に受け入れられない」と中川さんにアドバイスした。中川さんも「ありきたりなブックカフェではつまらない」と考えた。そして行き着いたのが「岩波の本を全部そろえる」というコンセプトだった。

古書店と漱石の『こころ』から始まった場所

UDS 中川敬文氏/岩波書店代表取締役社長 岡本厚氏/三省堂書店専務取締役 亀井崇雄氏/NUMABOOKS 内沼晋太郎氏

こうして2018年4月11日、神保町ブックセンターは開業した。前日の内覧会でおこなわれた、岩波書店の岡本社長、三省堂書店の亀井専務取締役、内沼さん、中川さんとのトークがおこなわれた。

岩波書店は今年で創業105年。この神保町ブックセンターの場所が、岩波の始まりだった。1913年、岩波茂雄が開業した時、ここは古書店だったという。

岩波はここで古本屋としてスタートしたのです。当時出版の経験も無かった岩波茂雄が、朝日新聞に連載していた夏目漱石の『こころ』を出版するところから岩波の歴史が始まりました。その後、岩波の販売店となり独立して信山社さんが経営され、一昨年残念なことに店を閉じていました。そして今、こういう場所が出来たことは非常に喜ばしいこと。本でしか学べない事、それは他者のこころを知るということです。そういう本の喜びを伝えるために、神保町ブックセンターは長く続けていって欲しいと願います。(岡本社長)

岡本社長が、この企画に賛同したのは、UDSの中川さんが押しかけてきて、その情熱に打たれたということ。そして内沼さんの存在も大きかったという。

内沼さんのことはこれまでの活動や『本の逆襲』という著作で知っていました。これまでと違う発想で本の愉しさを伝えてくれるのではないかと期待しました。(岡本社長)

三省堂の亀井専務も、UDSと内沼さんの企画で若者が集まってほしいという期待を語る。

店の購買データを見ていると、50代以上の男性が多いのです。回りにこれだけ大学が多いのに、若者はあまり足を運ばない。読書好きのヘビーユーザーのお客様も大事だが、やはり新しい層に来てもらいたい。本を読むというスタイルそのものの提案が、われわれは苦手でした。ぜひ神保町に刺激を与えて欲しい。(亀井さん)

お薦めの「岩波の3冊」を語る

ではそもそも、なぜ「岩波の本」だけなのか?
若い顧客を呼び寄せたいなら、他の出版社の本も並べても良いのではないかという疑問が湧くところだ。
これについては、内沼さんはこう語る。

この場所はものすごく特別で、中途半端なことはできない場所です。だからこそ岩波の本にこだわって岩波の本で揃えた方がいいと強く提案しました。(内沼さん)

内沼さんがプロデュースするここでのイベントでは、岩波の本の著者以外にも様々な人に声掛けをする予定だという。並んでいる本はすべてが岩波だが、スピーカーは岩波の著者に限定しない。自分の興味のある人が本を紹介してくれれば、それをきっかけに読書の愉しみを知る人が増える。岩波の本は若者には少し敷居が高いと思われるが、子供の頃や学生時代に必ず接しているはず。たとえば「私の思い出の岩波の3冊」を語ってもらいたいという。

中川さんも岡本社長に会った時に、「若者に薦める岩波の3冊」を聞いた。岡本社長のお薦めは、『モモ』(ミヒャエル・エンデ)『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)、『日本の思想』(丸山真男)の3冊だった。

本の未来は明るい

出版不況が騒がれ、書店や取次という従来のビジネスが苦しいと言われる。Amazon書店や電子書籍の普及で実店舗としての書店が苦しいのは確かだ。

「われわれは書店経営については素人。本屋そのものでのビジネスではなく本と飲食店、コワーキングスペースを複合化させることで新しい価値を作りたい」と中川さんは語る。
先に岩波の岡本社長が紹介した内沼晋太郎さんの本には、こう書かれている。

「出版業界の未来」と「本の未来」とは、別のものだと考えるようになりました。「出版業界の未来」ははっきり言って暗いけれども、生き残る方法はたくさんあるし、「本の未来」に至ってはむしろ明るく、可能性の海が広がっているとぼくは考えている。(内沼晋太郎 『本の逆襲』(アイデアインク刊)

「まちづくり(UDS)☓知の基盤(岩波書店)☓書店イノベーション(NUMABOOKS)という掛け合わせで、本のまち・神保町の “知のインフラとなる場所”をめざす」という事業スキームで出発した神保町ブックセンター。

本について語り合い、交流し、憩いの場所にして行きたいというのが各氏の願いだ。ワーキングスペースとしても使えるので一度足を運んでみてはいかがだろうか。

神保町ブックセンター


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