「フロー理論」と「充実したよい仕事の“3つのE”」
コミュニティを破壊され、奴隷のように酷使される。講演冒頭、チクセントミハイ博士は辛い戦争の経験を語り、自身を取り巻く環境を破壊され、存在すらも脅かされる中で、「生きる事とは何か」「幸せとは何か」を考えるようになったと語る。そして、その答えを心理学に求め、人間の幸福の鍵が「その人の内にある」ことに気づいたという。
外から動かされると自らを「犠牲者」と意識してしまう。しかし、犠牲者になることもできるが、自ら環境を支配すべく戦い、人生をコントロールして前向きに生きていくこともできる。たとえば、仕事についても「嫌だ」と思いながらやるか、何らかの意義を見出し楽しみながらやるか、自分で選択できるのだ。
それでは、どうすれば自らの手で楽しみを掴み、人生を幸せなものにできるのか。それこそがチクセントミハイ博士が生涯をかけて挑む問題であり、その答えとして見出されたのが「フロー理論」である。中でも人生の大部分の時間を占める「仕事」については、特に多くの事例や叡智に触れ、様々な考察を行ってきた。その対象の1つがソニー創業者である井深大氏の設立趣意書の一節だ。
「技術者たちが技術することに深い喜びを感じる。それと同時にその社会的使命を自覚して、さらに思い切り働ける安定した職場をこしらえる」
井深氏がこれを書いたのは設立直後、手探り状態の頃だという。しかし数年後、米国での研究によって、「充実したよい仕事」の要素とここに示されたものが一致していることがわかってきた。それは「3つのE」と呼ばれている。
- Exellence:卓越した
- Ethics:倫理、使命感
- Enjoyment:喜び、楽しさ
その後のソニーの快進撃は誰もが知るところだろう。「使命感を持ち、働く喜びのもと、思い切り働いた」結果として、稀なる創造性が発揮され、世界的にも大きな成功を収めた。そこで博士は「『思い切り心ゆくまで働く』とは、どのような感じなのか」という問いを解き明かすべく、創造性を発揮し、活動自体を楽しむことで社会的成功を収めた人々にインタビューし、研究を重ねてきた。
たとえば、詩人であるマーク・ストランド氏へは、すばらしい詩が書けた瞬間を次のように語っている。「目の前の仕事に没頭し、時間の感覚を失い、完全に陶酔している。自分がしていることに夢中になっている…未来も過去もなく、自分が意味を見出している現在だけが広がっている」。まさに詩人らしい表現だが、医師も技術者も言葉は違うにせよ、おそらく同じような感覚を味わっているに違いない。
そして、ある著名な細胞生物学者は、最も充実した時間を「電子顕微鏡を覗き、そこに広がる世界を見つめている時」とし、航空機の開発製造会社の元CEOは、自らの成功の定義を「何か世の中に貢献し、それをやっている間に幸福であること」という。また、アップル社の共同創業者の一人は「自分がやってきたことはお金のためではない、楽しかったから」と語っている。
どんな仕事でも、そこに意義を見出し、楽しさのあまり没頭している瞬間こそ至福の時間というわけだ。成功した誰もが「お金ではない、楽しさのため」と語る。しかし、「楽しさ」の共通項をみてみると、決して一部のセレブにのみ与えられたものではないことがわかる。たとえ単調作業に見えても、意義を見出し、自らコントロールする人には、まったく異なる仕事になる。そこに「楽しさ」が生まれているのだ。
工場のラインで安全で効率的な組み立てを考えながら仕事をする人、サーモンをより薄く早く美しくスライスする職人――。そうした“普通の人々”も、仕事の意義を見出し、自らのルールを決めてコントロールすることで、充実した人生を送っていると感じている。
この没頭して取り組んでいる状態を、チクセントミハイ博士は「フロー」と名づけた。「フロー」こそ仕事を楽しみ、人生を幸せなものにする「鍵」というわけだ。それでは、フロー体験はどうしたら得られるのだろう。