アイデンティティと多様性の関係
Identity and Diversity
大橋:ガブリエルさん、今日は宜しくお願いします。私はローランド・ベルガーの日本の代表をしていますが、ローランド・ベルガーには多様性を重んじるカルチャーがあり、日本オフィスにもその文化が根付いています。ただ、日本社会全体として多様性についてもっと議論をして、考えを深める必要があると感じています。今日は、そんな議論の場にしていけたらと思っています。
ガブリエル:ローランド・ベルガーはドイツの会社なので、よく知っていますよ。私自身は日本にも関心があるので、日本オフィスの大橋さんとお話できるのを楽しみにしていました。今日は宜しくお願いします。
大橋:多様性に関してガブリエルさんと話したかった理由のひとつは、僕自身が多様性の狭間で生きてきたからです。私は小さい頃からアメリカで育ったので、自分がアメリカ人なのか日本人なのか、自分自身のアイデンティティの解釈に悩んだ時期がありました。他人から様々なステレオタイプに分類されることに違和感を持っていました。日本人やアメリカ人というような分類ではなく、私は私なのですが。
ガブリエル:アイデンティティという言葉が出てきましたが、哲学の観点から述べられることがあります。哲学の分野において、人間は「自己解釈する動物」です。例えば、私が身長180cmであるという事実に解釈の余地はありませんが、私が教授や哲学者であるということは、解釈の対象となります。自分で自分は哲学者だと考えているからこそ、私は哲学者なのです。そして、その具体的な解釈の一つひとつがアイデンティティとなります。
「何をもって日本人とするか」という解釈の仕方も一人ひとり違います。“日本人”という単一の何かがあるというのはフィクションであり、実際には存在しません。あるのは日本の社会や経済、国家のみです。それなのに、そこに参加している誰もが「日本人である」という包括的なアイデンティティが存在すると錯覚し、それに応じて行動をしています。本来人間は自由で多様な考えをもつ動物であるはずなのに、アイデンティティという人間の解釈によって生まれる様々なステレオタイプがあることで、多様性が阻害されていると思います。