断絶3「探索×深化」──既存事業への最適化が新しい芽を摘む
考えてみてください。あなたのチームが今期の目標を達成するために磨き上げてきたオペレーション、ルール、評価基準。それらは現在の事業を効率的に回すために最適化されたものです。そこに「まだ成功するかわからない実験」を持ち込むと、何が起きるでしょうか。「そのアイデアの根拠は?」「前例はあるのか?」という反応が返ってきませんか。生まれたばかりのアイデアにこの問いを投げることは、出たばかりの芽を重機で踏み潰すようなものです。
この拒絶反応は、「探索」と「深化」という、相反する2つの活動のジレンマから生じています。企業活動には性質の異なるこの両方が同時に必要であり、両者を共に追うことを「両利きの経営(Ambidexterity)」と呼びます[1]。
[1] C. A. オライリー、M. L. タッシュマン, 入山章栄監訳・解説 (2019).『両利きの経営』東洋経済新報社.
深化(Exploitation)は、既存事業を磨き込み、効率化し、収益を最大化する活動です。失敗を減らし、確実性を高めることが正義とされます。
探索(Exploration)は、新しい可能性を探り、実験し、失敗から学ぶ活動です。非効率を受け入れ、不確実性に挑むことが正義とされます(注1)。
注1 「探索(Exploration)」と「深化(Exploitation)」は、マーチ(J. G. March, 1991)が示した対概念で、『両利きの経営』でもこの訳語が用いられる。探索は新しい可能性や知を未知の領域に求めることを、深化は既存の強みや知を活用し深掘りすることを指す。
両者は求められる行動様式、評価基準、リスクへの態度など、あらゆる面で正反対の性質を持っています(図1-2)。
コダックとノキアに見る「イノベーションのジレンマ」
探索と深化のジレンマは、長い時間をかけて、市場のレベルで残酷な形で現れます。こんな状況を想像してください。あなたの会社は業界トップシェアを誇り、顧客満足度も高い。既存顧客の声に丁寧に応え、投資対効果の高い事業にリソースを集中している。教科書通りの「正しい経営」です。ところが5年後、全く別の業界から参入してきた新興企業にあっという間にシェアを奪われてしまう。
なぜそうなるのか。鍵は、破壊的イノベーション(当初は性能で劣るものの、安さや手軽さで新しい顧客をつかみ、やがて主流市場を侵食していく技術)の性質にあります。登場した時点の破壊的技術は、既存顧客が求めず、市場は小さく、利益もほとんど見込めません。収益と確実性を基準に判断する限り、それは「投資に値しない選択肢」に見え続けます。書籍の性能が主流市場の要求水準に追いついたとき、気づけば取り返しのつかない差がついているのです。
経営学者クレイトン・クリステンセンはこれを「イノベーションのジレンマ」と名づけました[2]。優良企業が没落するのは、経営者が無能だからではありません。合理的で正しい経営判断を繰り返した、まさにその結果なのです。
[2] C. M. クリステンセン, 玉田俊平太監修・伊豆原弓訳 (2001).『イノベーションのジレンマ 増補改訂版』翔泳社.
この逆説を象徴するのが、コダックとノキアの没落です。コダックは写真フィルム業界で圧倒的なシェアを誇り、皮肉にも世界初のデジタルカメラを1975年に開発した企業でした。しかし、フィルム事業の高い収益を守ることを優先し、デジタルへの本格的な事業転換を先送りし続けた結果、2012年に経営破綻に至りました。
ノキアは携帯電話市場で世界シェア1位を誇っていましたが、2007年のiPhone登場に対して表向きは余裕の姿勢を崩さない一方、社内では脅威の深刻さが経営陣と現場のあいだで共有されないまま対応が遅れ、2013年には携帯電話事業のMicrosoftへの売却を発表しました[3]。
[3] Vuori, T. O., & Huy, Q. N. (2016). “Distributed Attention and Shared Emotions in the Innovation Process: How Nokia Lost the Smartphone Battle”. Administrative Science Quarterly, 61(1), 9-51. [https://doi.org/10.1177/0001839215606951]
両社に共通するのは、「間違った判断」をしたのではなく、先ほど述べた教科書通りの「正しい判断」を積み重ねた結果として没落したという点です。その経営判断が、破壊的イノベーションへの対応を阻んだのです。
合理的であることが、イノベーションの足枷になるというこの逆説は、今この瞬間も、あなたの組織の中で静かに進行しているかもしれません。




