研究者の書くコードなんて使えない!?
研究者としてだけではなく、一市民としての活動も多様性を持つことが出来てきたと感じている村上さん。つい最近の研究者から開発者へのキャリアチェンジも大きな出来事だったという。
研究開発って一緒でしょ? と言われるんですが、そんなことは無いんですよ。開発現場のエンジニアならわかると思うんですけど、みなさん「研究者の書くコードなんて開発では使えない」と思っているじゃないでしょうか? そう思っている人は手を上げてください(会場、数名が挙手)。
村上さん自身が研究所で書いたコードを現場の開発エンジニアに渡すときは、いつも苦笑いをされたものだという。年末の最終出社日に所長に呼ばれ、いきなり「開発にいくかどうか今決めてくれ」と言われた。
「所長、私開発に向いてますか?」て聞いたところ、「向いてないんじゃない」と言われました。「だって君、プログラム書くの遅いし、汚いでしょ」って。ひどいじゃないですか(笑)。それで「向いてないからこそ行くといいよ」と言われたんです。
IBMという会社は、ダイバーシティに対しては先進的に取り組む会社だ。村上さんが基礎研究所から開発に行くことによって、Watsonの開発にも多様性が生まれるかもしれない。
開発の中のマジョリティだけになってしまってる空間に、一石を投じるというか、波乱を起こすというか、ちょっといい影響を与えられればいいんじゃないかな、と。そういう期待を受けているのかもしれないと。私の希望的観測なんですけれども(笑)。
「みんな違って、みんないい」
それでも、マイノリティを組み込んで、多様性を生んで活性化を図るというのが組織の生存戦略だとしたら、それに組み込まれるマイノリティの側が辛くないのだろうか? こういう疑問をある人から投げかけられたという。
自分がマイノリティであるという経験を持たない人、あるいは、持ってサバイブしてきた人、っていうのは、マイノリティのつらさを分からなかったりするんです。自分が気をつけていることは、自分が耐えてきたんだからあなたも耐えなさいよってアドバイスしてしまうことです。実はそれは間違いで、自分の辛さだって多種多様性がある。その人の悩みは私にはわからないと思っている方が、実はその方のことを真剣に考えてあげられるということなんです。
村上さんは「みんな違って、みんないい」という、金子みすゞの詩の言葉を紹介した。
「みんな違って、みんないい」というっていうのは、マイノリティであることを経験した人が、一緒になってマジョリティになることではなくて、何か困難なことも、あるいは何かすてきなことも、すべて違うその人の経験なんだよ、ということだと思います。それを認められる世界っていうのが、いいっていうことなんじゃないかな、というふうに思っています。
こう語り、村上さんは講演を終えた。 壇上から降りた村上さんの背中のトレーナーには、「日本が復興を終えるまで、わたしたちはハックする」というコードが書かれていた。
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