飛び込みで名刺集めからスタート
– まずは経歴についてお話ください。
藤田: 僕は転職が多くて、今6社目なんです。一番最初、新卒、97年に勤めた会社が経営コンサルティング会社の営業職。思い切り営業体質のコンサルティング会社。そこでは最初に飛び込み営業をやりました。最初に「とにかく1日50枚名刺を集めてこい」から始まりクリアすると、「1日10枚で良いから部長以上の名刺を集めてこい」になって、その次は「役員の名刺を集めてこい」になって、で「役付役員の名刺を集めてこい」になる。まず受付をどう突破するかを考えていましたね。
– コンサル業界ってどこでもそういうことをするんですか。
藤田: 今となっては一切してないようですし、もう15年以上前ですからね。競合もそこまでガッツリしてなかったと思いますし、多分、社内でも私が配属した営業所だけですよ(笑) そこは口だけの使えないコンサルはいらないというスタンスの会社なので、コンサルタントはほぼ全員営業出身ですね。営業所ごとの興業みたいなのがあって、1人12万円の2日間の通いのセミナーを集客して、興業として成功させるのが、営業所長の腕前。そのセミナーの売上と収益責任をクリアできないと、コンサルタントにはさせてもらえないんです。
– 12万円のセミナーを集客するっていうのはけっこう大変ですよね。
藤田: さすがにその制度は、少しずつ廃止されましたが、ビジネスマインドみたいなところはすごく叩き込まれました。そういう意味では貴重な経験でしたね。
製造派遣の会社で偽装請負規制との戦い
その後広島に転勤した藤田さん。転勤先で大手クライアントを引き継いだものの、前任者の案件のトラブル収拾からスタートした。しかし、そこでも結果として案件を拡大するなどの成果をあげた。その後また福島の会社に転職。そこは製造業向けの人材派遣の会社だった。
藤田: 製造派遣の会社だったのですが、そこでも営業目標をクリアしてトップになりました。当時の2002年から2004年は、派遣業界は調子が良かったんです。ちょうどITバブルが弾けた後で、正社員が減って業務量は増えているという状態でしたからね。その勢いもあって、会社がIPOをすることになり、経営企画部門が出来て福島から東京の本社に呼ばれた。そこから経営企画ですね。
– IPOのための公開準備作業のための経営企画ということですね。
藤田: 公開準備作業で、その証券会社の審査対応とかもやったんです。その前に社内の内部統制と業務フローの整備から入りました。
公開準備のための業務フロー改革をやるんですが、業務基幹システムがなかったんですね。売上が100億円くらいある会社で、全国に10支店くらいあるのに、数字を全部エクセルで回していた。会計だけPCパッケージがありましたが、内部統制どころではない状態でした。そこで、「ERPを入れて基幹システムをゼロから構築作れ」という話になった。大体そういうプロジェクトは3年ぐらいが普通ですが、「1年でやれ」と言われた。結果として、要件定義から始めて10カ月でやったんです。
– 早いですね。業務フローや業務プロセスの要件定義だけでも、けっこう大変じゃないですか。しかも情報システムの経験者でもないのに。
藤田: そうです。そこで業務基盤が決まって、IPO準備に入りました。営業現場の人間ですからIPOとかファイナンスとか全く知らなっかったので、そこで初めて勉強しました。「監査法人って何?」とか、「証券会社って何?」みたいな。
– 上場申請資料の作成などはどうでしたか?
藤田: やりました。上場申請資料の「Ⅱの部」はひとりで作りましたね。この書類作成も普通は半年から数年かかると言われていますが、2週間で作ったんです。ちょうど、業務フローは、システムの導入にともなって、業務フローのひな型があったので、あまり苦労しなかったんですよ。公開準備段階でシステム導入すると、その当たりの作業の負荷が楽になるんですね。システムの要件定義フェーズのところで、運用フローが全部決まってくるので、それを書き起こせばいいだけでした。面白かったですよ。そこまでは順調なIPOになると思ったんです。