創薬のエコシステムを作るべくオープン・イノベーションのしくみを立ち上げた
津嶋(株式会社インディージャパン 代表取締役/マネージングディレクター):
佐野さんは新卒で第一製薬(現 第一三共株式会社)に入り、昨年DeNAに移られましたね。第一三共では、どのようなことをされてきたのでしょうか?
佐野(DeNA ヘルスケア事業部 ビジネスデベロップメントディレクター):
製薬企業はバリューチェーンがすごく長いだけでなく、厳しい法令に対応していく必要があるんですよ。ひとつの薬が出るまでには、種になるアイデアから新規物質を見出す基礎研究(2~3年)、動物・培養細胞を用いて安全性・有効性を確認する非臨床試験(3~5年)、ヒトでの安全性・有効性を確認する臨床試験(6~7年)、各国の薬事当局の承認・審査(1~2年)、その後、薬剤が市場から無くなるまで数十年続く、安全性と有効性を監視するための市販後調査(ファーマコ・ビジランス)があります。その過程を、購買・生産・品質管理・物流も支えています。僕も25年くらいの間にいろいろな部署を経験しました。
第一三共でやっていたのは、「TaNeDS(タネデス:Take A New Challenge For Drug Discovery)」というオープン・イノベーションの取り組みです。創薬や技術研究に共同で取り組む研究者を国内から広く募集するというもので、「タネ」はシーズ(種)、「デス(DS)」は「Daiichi Sankyo」の頭文字にかけています。
その後、大学発のベンチャーを育てる「OiDE(オイデ:Open Innovation for the Development of Emerging technologies)」というプロジェクトも三菱UFJキャピタルと立ち上げました。米国と異なるエコシステムをもつ日本の実状に合わせた世界初のスキームをもつファンドです。OiDEは(手招きしながら)「おいでおいで」という意味です。日本発の薬を作るのにプロジェクト名が英語というのが嫌で、私はいつも日本語になる名称を考えるんですよ(笑)。
津嶋:
なるほど。どういった経緯でオープン・イノベーションの担当になられたのですか?
佐野:
その前は、ライセンス部門にいました。新薬となる成功確率(基礎研究後から承認まで)は3%とも言われています。また費用も数百億円~数千億円を要するハイリスクな事業です。新薬を獲得する2つの方法がありまして、ひとつは自社の技術で創薬していく方法。もうひとつは他社や大学発の技術を取り込んで作る方法です。三共の初代社長 高峰譲吉氏は、米国でのタカジアスターゼ(消化酵素)とアドレナリンの特許を取り、当時のパークデービス社へライセンスし、莫大な実施許諾料を得ており、ワシントンのポトマック川にソメイヨシノを寄贈し、毎年5月のサクラ祭りにて日米の心を温めています。このように医薬品業界では明治時代から「社外の知財」を使わせていただくということが行われているんですね。
僕のミッションは会社の外から効率よく「良いもの」を取ってくることで、製薬のビジネスで一番優れているアメリカ型の会社のやり方に注目しました。向こうでは大学の先生も含めたベンチャーをVCが支援し、育ってきたところで製薬会社が提携や買収をするということがよく行われていて、より積極的なところは製薬会社自体がCVC(Corporate Venture Capital)を設立し、投資してきました。世界最大の独立バイオテクノロジー企業Amgenに投資したのは、実はGSK(グラクソスミスクライン)でした。それで、まずは日本のライフサイエンス関連VC(Venture Capital)20社、翌年アメリカでCVCをやっている製薬会社15社にインタビューしまして、「うちもオープン・イノベーションをやるべきだ」というレポートを書いたんです。TaNeDSやOiDEの施策もそこに盛り込んでいました。ただ、そのレポートは一度お蔵入りになっちゃったんですけどね。