「コミュ力なく、一芸で就職したようなもの」と語る、小学生からのプログラミング好き
仲山進也さん(以下、敬称略):倉貫さんといえば、「オフィスなし、全員リモートワーク」をはじめとした働き方がユニークな会社の経営で注目されていて、著書『管理ゼロで成果はあがる』も話題です。大手システム会社に勤務していたときの働き方もトラリーマン的だなと思っていたので、この連載に出ていただきたい人としてずっとリストアップしていました。
倉貫義人氏(以下、敬称略):光栄です。仲山さんとの初対面はもう3年くらい前になりますか。
仲山:楽天の創業メンバーで元取締役の安武弘晃さんが開いた食事会で「仲山くんと話が合うと思います」って紹介されたのがきっかけでしたよね。後日、埼玉大学の宇田川元一さんと3人で鼎談企画をやったら3時間くらい話が止まらなくて(笑)。それ以来、いろんな機会にご一緒させてもらっています。
倉貫:今、歴代トラリーマンの方々と検証されてきたトラリーマンの共通項目を拝見していますが…、もう共感しかないですね(笑)。
仲山:倉貫さんって、どんな就職のしかたをしたんですか?
倉貫:僕は小学生の頃からパソコンを触っていた根っからのプログラマーで、学生時代もベンチャーでアルバイトをしていました。そこから誘いもあって興味はありつつも、1999年で就職氷河期だったので「大企業に入るチャンスは新卒の今しかないかな」と思ったんですよね。
仲山:今なら「ベンチャーで経験を積んで大企業に転職」も珍しくなくなったけれど、当時は「大企業から中小ベンチャーへの転職」はあっても逆の選択肢はほぼなかったですもんね。
倉貫:僕は今でこそ日本語で本を書けるほどまでになりましたけれど、当時はコンピュータしかできなくて、コミュ力は皆無。だから、コンピュータを仕事にできる職場ということで、システム開発をする会社を第一候補にしていました。システム会社には大手メーカー系と独立系があるのですが、僕はいろんな仕事を選べる環境がいいなと思ったので独立系へ。独立系の中でも大手というと2〜3社しかなくて、そのうちの1社であるTISという会社に入りました。