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旭化成が実践した組織へのマーケティング実装──イノベーションにおけるマーケターの“本来の役割”とは?

【第2回・前編】ゲスト:旭化成株式会社 顧問 田村敏氏

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 大企業において「システマティックなイノベーション」を実現するための経営・組織・カルチャー変革に携わるキーパーソンをゲストに迎え、その取り組みや考え方に迫る本連載。今回は、Japan Innovation Networkの理事を務める仙石太郎氏をナビゲーターに、旭化成の顧問を務める田村敏氏へ話を伺った。前編では、田村氏が初代本部長を務めた旭化成のイノベーション組織「マーケティング&イノベーション本部」の設立経緯を起点に、イノベーションとマーケティングの関係性について話題が及んだ。

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かつて大成功を収めたビジネスモデルが、市場環境の変化で機能不全に

仙石太郎氏(以下、敬称略):旭化成は日本を代表する化学メーカーとして、化学業界ひいては日本の産業全体をリードしてきた存在だと考えています。特に「イノベーション」という観点において、多くの企業の参考となる取り組みを実践されてきたのではないかと。

 田村さんは現在、旭化成の顧問を務めておられますが、それ以前は同社がイノベーション創出に向けて2019年に設立した「マーケティング&イノベーション本部」の本部長を担っていらっしゃいましたよね。まず、この部署はどういった経緯で設立されたのでしょうか。

田村敏氏(以下、敬称略):この部署の設立に関して社長の小堀(現:旭化成 会長)から話があったのは、2018年の年末でした。特にマテリアル(素材)領域を中心に全体のマーケティング活動を行い、新規事業の創出に繋げていく新組織を社長直轄の部署として立ち上げるとの趣旨で、どのように具体化するかは私に任されていました。具体化した内容については、世界的な市場環境の変化や私自身のキャリアが深く関係していますので、まずはそこからお話ししていきたいと思います。

 私が旭化成に入社したのは1984年、当時は日本における半導体産業の最盛期。日本製の半導体メモリが世界を席巻し、化学メーカーや鉄鋼メーカーによる異業種参入が始まっていました。旭化成もまた、新規事業の一つとして1983年に異業種参入しました。私も入社時から30年以上に渡って、この半導体産業に携わることとなりました。その意味では、私のキャリアの大部分は新規事業と深く関わってきたことになります。

 半導体産業への参入時、旭化成は新規事業の立ち上げ期の苦難を経て独自のビジネスモデルを構築し成功しましたが、やがてリーマンショックを起点とする市場環境の激変により長い低迷期を迎え、様々な構造改革を経て新たなビジネスモデルへの転換を図ることとなりました。この経験が、新組織の具体化にも繋がったと思っています。

旭化成株式会社 顧問 田村敏氏
旭化成株式会社 顧問
田村敏氏

 当時、異業種からやってきたメーカーの多くは、自前の工場における半導体メモリの製造という分野で、この産業に参入しました。一方、旭化成の場合は回路設計技術に着目して、アナログLSIの設計開発という、やや特異な分野で参入しました。その後、自社のLSIを製造する工場も持つことにはなりましたが、回路設計技術を最大の特徴として参入したことが、結果として異業種参入メーカーでありながら事業を継続できた大きな理由となっています。

 皆さんご存知の通り、日本の電機メーカーは1980年代から1990年代半ばにかけて全盛期を迎え、その後2000年半ばにかけて徐々に競争力が低下していきました。この潮流の中で、旭化成は回路技術を徹底的に磨き活かすビジネスモデルを構築し、大きな成功を収めることができました。電機メーカーの要求に対して、そのメーカーのLSI設計部隊よりも高品質で高性能な製品や技術を提供することで、事業拡大に繋げていきました。しかし、結果的にこのビジネスモデルにはある“弱点”があったのです。

仙石:いったい何でしょう。

田村:このビジネスモデルでは、「本質的なマーケティング活動が不要であった」という点です。お客様である電機メーカーから必要な製品や技術の要件が詳細に求められ、それにきっちりと応えるLSIを開発することで価値を提供できていたため、旭化成が自ら主体的に「顧客やエンドユーザーは何を求めているか」というマーケティング活動をする必要がなかったのです。マーケティングは顧客が担ってくれるという、顧客依存度が非常に高いビジネスモデルでした。その弱点は2008年、リーマンショックが起こった際に浮き彫りとなります。

仙石:リーマンショックを境に、日本の電機メーカーはグローバル市場で劣勢になっていきましたよね。

田村:はい。旭化成の主要顧客も、自然と日本から海外の電機メーカーへ移り変わっていき、これまでのビジネスモデルが上手く機能しなくなっていきました。

仙石:なぜ機能しなくなっていったのでしょうか。

田村:海外の大手電機メーカーは、「我々に新たな価値を提供できる製品を提案してくれば、使うことを検討する」という考え方でした。どんな製品や技術が欲しいのかという詳細な要求が来ないのです。しかし、これは海外の企業では当たり前でした。

仙石:端的に言えば、「言われたモノを作ればよい」という構造で成り立っていたビジネスが、ある日突然、顧客のニーズを自分たちで探りにいかなければならなくなったということですか。

田村:そういうことです。顧客がどんな課題を抱えているのか、どんな世界を求めているのかを想像して製品を生み出さなくてはいけなくなったのです。これにはまさしくマーケティングの能力が要求されます。こうした半導体産業での経験が、マーケティング&イノベーション本部を具体化する際の大きなポイントになりました。

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この記事の著者

島袋 龍太(シマブクロ リュウタ)

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