「飛び級」のない組織が優秀な人材を流出させる
AIによって個人のスキルが瞬時にアップデートされ、誰もが初心者としてスタートラインに立てる現状は、若手人材にとって「下克上」のチャンスとなり得る。田中氏はこの点が日本企業の働き方に大きなインパクトを与えると予想したが、澤氏は日本企業特有の構造的な問題がその障壁になっていると指摘した。
澤氏が挙げた最大の問題点は、日本の教育や企業組織において「飛び級」が存在しないことである。小学校から大学まで年齢ごとに学年が進行し、新卒一括採用で入社した後も、年次ごとに地層のようにキャリアが積み重なっていく。この仕組みにより、わずか1年の違いで先輩・後輩という上下関係が固定化され、「入社年次」が個人の能力以上に重視されるカルチャーが根強く残っていると澤氏は分析した。
澤氏は、ある銀行の事例として、社員を名前ではなく入社年次と出身大学で識別し、命令系統をオートメーション化している実態を紹介した。こうした年次主義がボトルネックとなり、突出した能力を持つ若手がいても、組織の慣習によって活躍の機会を奪われることになる。澤氏はこれを、大リーグの大谷翔平選手に球拾いをさせるようなものだと表現し、優秀な人材が日本企業を見限り、外資系企業や海外へ流出する原因になっていると厳しく指摘した。

「組織での分身」を脱ぎ捨て、「Will」を持つ重要性
スキルの陳腐化が加速し、年功序列のシステムが機能不全に陥る中で、ビジネスパーソンはどのように生き残るべきなのか。澤氏は、早急に「自分自身と相談する」時間を設ける必要があると提言した。ここで言う「自分」とは、会社の肩書きやポジション、勤続年数といった属性を排除した、生身の人間としての自身を指す。
澤氏は、多くの人が会社の役職や役割を自分の人格すべてを構成しているものであると錯覚し、自分のごく一部を切り出しているはずの「エイリアス(別名・分身)」が主体の状態で生き続けていると警鐘を鳴らした。組織における役割が陳腐化した際、エイリアスに依存していると本体である自分自身も共倒れになってしまうからである。スティーブ・ジョブズが毎朝鏡に向かって問いかけたように、自分は何をしたいのか、どういう時に幸福を感じるのかを内省する習慣を持つことが不可欠であると澤氏は説いた。
さらに澤氏は、これからの時代において最も重要なキーワードとして「Will(意志)」を挙げた。自分が本当は何をしたいのかという意志を確認せず、「我慢は美徳」として意に沿わない仕事を続けることは、自分自身にうそをついて生きているに等しい。たとえ営業職に就いていても、数字を上げることに興味が持てないのであれば、それは自分の人生を生きていないことになる。田中氏もこの意見に同意し、自身が20年務めた社長職を退き、会長として人的資本経営にコミットすることを決断した経緯を語った。それは、何かを得るために別の何かを捨てるという選択の結果であった。
