Job to Be Doneの理論と実践
『イノベーションのジレンマ』を執筆し、一躍有名になったクレイトン・クリステンセン教授は「破壊的イノベーション」という理論を打ち出した。破壊的イノベーションは一般に「大手ができない」「不連続」なイノベーションだと思われがちだが、本質は「既存企業がやりたくない」「価値観を変える」イノベーションと理解するのがよいだろう。既存企業(Incumbent) は、新しい技術に対応する能力がないばかりか、「安く」「魅力的でない顧客向けの」「既存の価値観とは異なる」ビジネスに投資する動機が低くなってしまう。
実は『イノベーションのジレンマ』には、既存企業がベンチャーに負ける根拠が書かれているものの、いったいどのようにしてイノベーションを興せばよいかは書かれていない。その答えは『イノベーションへの解』を待つことになる。クリステンセンの2冊目となる本では“Jobs to Be Done”という言葉を用い、顧客の属性や製品の特徴ではなく「顧客が片づけたい用事」つまり、「ジョブ」が商品を買うか買わないかの決定要因であると発表した。
顧客(個人や企業)の生活にはさまざまな「用事」がしょっちゅう発生し、彼らはとにかくそれを片づけなくてはならない。顧客は用事を片づけなくてはならないことに気付くと、その用事を片づけるために「雇える」製品やサービスがないものかと探し回る。”(『イノベーションへの解』)
ジョブ理論の概要については今後の連載で述べていくが、まとめると以下のようなものになる。
- 顧客にはやるべき「ジョブ」があり、それを解決しようとしたときに特定の製品やサービスを「消費」する
- 顧客の置かれた「状況」が何を「消費」するかを左右する
- 「ジョブ」には機能的な側面だけでなく、感情的、社会的側面がある
- やるべき「ジョブ」が不十分にしか解決されておらず、よりより解決策が提示されて、初めて、新しい解決策を採用しようとする
- 売り手の「ジョブ」は製品やサービスを売ることだが、顧客の「ジョブ」はそうではないため、ビジネスが失敗しやすい
ジョブ理論というツール
クリステンセン氏はこの頃イノベーションに特化したコンサルティング会社イノサイトを立ち上げる。「理論」とは銘打っているものの、「ジョブ理論」は経営学者が事例を調べた後知恵ではなく、イノサイト社が開発しながら実践してきた使える理論である点が特筆に値する。事実、アレックス・オスターワルダーらの『バリュー・プロポジション・デザイン』(翔泳社)、ビル・オーレット『ビジネス・クリエーション!』(ダイアモンド社)、エヴァン・ルーミスらの『巻き込む力』(翔泳社)といった書籍で紹介されるなど、企業内イノベーションだけでなく起業家がスタートアップを成功させるためにも有益であると認められている。
実用性だけでなく、理論としての客観的な側面も合わせ持つ。ジョブ理論と同様に、潜在的なニーズを見つけ、新たなビジネスチャンスを見出す手段として用いられるエスノグラフィーやデザイン思考などと比較すると明確だ。これらの手法はジョブ理論と対立するというよりも、よい補完関係にある。例えば、エスノグラフィーでは顧客が生活する環境に身を置き、売り手としての“邪念”を抜きに課題を探すことをする。この際、ジョブ理論が提示する観点を導入することで、観察するポイントが絞られ、効果的に課題を発見することにつながる。また、デザイン思考を効果的に行うためには、赤の他人であるユーザーとの共感が必要となるが、ユーザーの置かれた状況とジョブを理解することが、この共感プロセスを容易にすることがわかっている。つまり、エスノグラフィーやデザイン思考といった感性を要するプロセスに、一定の視点をジョブ理論は与えてくれる。
それでは、このジョブ理論が活用できるさまざまな場面をご紹介しよう。