本記事は『正解がない時代のビジョンのつくり方 「自分たちらしさ」から始めるチームビルディング』の「序章 なぜいま、ビジョンが大切なのか?」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
正解がない時代の灯
「自分たちは、いったいどこへ向かっているのか?」
「自分たちは、何のために活動しているのか?」
このように考えることはありませんか。
新型コロナウイルスによるパンデミックの非常事態を経て、私たちの活動の仕方、生活の仕方は大きく変わってきました。働き方にも大きな変化がありました。オフィスに通わなくなった人、家にいる時間を使って副業を始めた人、新しいことに挑戦し出した人もいるでしょう。
生活スタイルも多様化が進み、どこに住むのか、誰と暮らすのかなどの選択肢が一気に増えたように思います。そして今は、AIの急速な発展に、さまざまな仕事の内容も激変しようとしています。
このように、いままでは当たり前だと思っていたことが、知らないうちに変わってしまっているということが、世の中では次々に起きています。さまざまな考え方、生き方がある中で、画一的なモノサシがなくなってきているのです。
何をしてもよい、どこへ行ってもよい、という状況だからこそ、私たちは生き方を「選択」していくという厄介な命題を抱えることになりました。
そのような状況の中で、「どこへ向かっているのか?」「何のために活動しているのか?」と不安に思うのは、ごく自然なことだと思います。日常生活を送っていく中でさえ、「自分は何のために活動し、何をしようとしているのか」といった、ビジョンが必要になってきているのかもしれません。
一方で、さまざまな人が、自分の価値観を隠さずにオープンにしやすい社会にもなってきています。個人がSNSを使って自分の意見を述べることも、直接会ったことのない仲間と新しい音楽や映画が制作されることも珍しくなくなってきました。
自分の考えや好み、やってみたいことをオープンに発信しているからこそ、似ている価値観をもつ人とつながり、仲間を見つけられるのです。
このように、精神的にも技術的にも、個人の考えを発信することの制約が少なくなり、ビジョンを発信する人やチームが増え、互いのことをより知っていくためにビジョンが活用されはじめていま す。
変化しながら広がりを見せるビジョンの効果
誰でもビジョンを掲げることができるようになったからこそ、ビジョンの活用シーンは増え、その効果も広がりを見せています。
ビジョンは大企業や自治体などで、企業目標や社会的役割を公言できるものとして、活用されてきました。とくにたくさんの人が所属している大企業の場合、活動の目標が細分化されるケースも多く、「ビジョン」「ミッション」「バリュー」という概念的指標を掲げることで、組織全体で何を目指しているのかを伝えやすくなりました。活動の背景と意義をわかりやすくし、個々が理解することを促進していたからです。そのビジョンの効果はいまでも健在です。「なぜ、この活動をやっているのか?」「何のために、自分たちはここにいるのか?」といった、活動の背景と意義を、多くの人がビジョンを通して理解することができます。
そして、大企業や自治体だけでなく、中小企業やコミュニティなどでも、ビジョンは検討され発信されるようになりました。規模の小さい組織やチームにおいては、「わかりやすさ」とは別の効果があったからです。それは、組織外の人間とのつながりづくりです。自分たちが目指していることや、社会に対して貢献したいと思っていることなどを打ち出すことで、同じことを考えている組織とつながりやすくなります。価値観が多様化している時代だからこそ、業種や業態という情報だけでは、一緒に活動してうまくいくかどうかは判断できません。そこでビジョンを掲げることが、互いの価値観を理解し、共創するきっかけとなっています。
さらに、ビジョンづくりは、経営者やリーダーだけではなく、現場で活動を支える人たちにも広がりました。ビジョンというアウトプットが背景と意義をわかりやすく伝え、人をつなげることができるとするならば、ビジョンをつくる過程においても、活動に参画した人によい効果をもたらすからです。つくる過程では、社会のことや組織のことなど、さまざまなことを調べ、たくさん議論します。その中で、その場にいた人の意識が変わり、組織がよい方向へ変わっていく、という効果がありました。
経営者やリーダーがつくったビジョンを現場で活動する人に伝えても、自分ごととしてとらえてもらえず、他人事で終わってしまうこともあります。しかし、ビジョンをつくる活動に参画することで、自分たちの会社の未来を自分たちでつくっていこうという意識に変えることが可能となります。
「みんなのビジョン」をつくる難しさ
ビジョンはチーム・組織にとって絶大なパワーを発揮しますが、実際にビジョンをつくることは容易ではありません。
未来のことを考えるだけでも難しいのに、社会のこと、事業や活動のこと、組織のことを包括して考えなければなりません。これは、至難の業といえるでしょう。また、一人で考えるならまだしも、複数人で考え複数人で育てていくチームのビジョンとなればなおさらです。
さらに、この数年、働き方が変わってきたこと、SDGsへの配慮が必要になってきたことなど、社会環境や人々の価値観が変化してきたことで、ゴールを掲げるだけのビジョンづくりでは、現代社会で対応しきれなくなってきていると感じます。
これまで、筆者は約10年にわたり大小さまざまな企業のビジョンづくりに立ち会ってきました。その中で、残念ながら飾り物のようになり機能していないビジョン、縦割り組織のために乱立してしまった複数のビジョン、中断してしまったビジョンづくりのプロジェクトなど、さまざまなケースを見てきました。
なぜビジョンづくりがうまくいかないのでしょうか。ビジョンづくりの前には次の5つの壁が立ちはだかっています(図-1)。
- 過去にとらわれてしまう壁
- 表層的な整理に陥る壁
- 縦割り管理の壁
- 人間味を排除してしまう壁
- 他人事の壁
過去にとらわれてしまう壁
「過去にとらわれてしまう壁」は、ビジョンづくりにおいて、成功する確率や過去の実績を基準に考えようとしてしまう心理的な障壁です。
未知のものを考えるためにはいまの世界にないものを妄想していくことが必要不可欠です。その中で、過去の実績やエビデンスを基準として考えることは、まだ見ぬ未来の可能性を狭めてしまうことになりかねません。どんなに妄想が得意な人であっても、誰かに説明するとき「これは正しいのか?」「これは受け入れられそうか?」と不安に思うことがあると思います。
確証を得たいという思いから、過去の判断基準を引用したくなってしまいます。これが「過去の世界」にとらわれてしまうということです。過去に起こったことや、これまでに形成されてきた価値観を一度捨てたうえで、未来を考えなくてはいけません。
この本では、とくに「ステップ2 未来の社会像をイメージする」で、過去にとらわれない未来の考え方を紹介していきます。そして、全ステップを通してつねにそのことを意識する必要があります。「過去の考え方にとらわれてはいないだろうか?」と。
表層的な整理に陥る壁
「表層的な整理に陥る壁」は、自分たちにとって重要なことを探究しながら見つけ出していくことを阻む壁です。ビジョンづくりでは、非常に多様で大量の情報と向き合います。
それらは、どれも複雑で、読み解くことも分析していくことも厄介なものばかりです。そのような状況で、ともすると恣意的に情報を統合したり排除してしまいたくなるでしょう。素早く型に当てはめたり、見なかったことのほうが管理しやすいからです。
しかし、本当に大事なことは、思いもよらないところから発見されます。情報が錯綜し混沌としている状況の中で、探索的に考える覚悟が必要です。自分たちにとって「かけがえのないもの」をとらえていくために、ものごとを表層的に考えず、自分たちにとってどうなのかを深層まで考えなければなりません。
この壁は、ビジョンをつくるすべてのステップに立ちはだかってくるでしょう。そのため、「表層的な整理に陥る壁」の越え方を、それぞれのステップで詳細に紹介していきます。とくに、「ステップ1 自分たちらしさを探索する」や「ステップ2 未来の社会像をイメージする」における情報分析では、意識して取り組んでみてください。
縦割り管理の壁
「縦割り管理の壁」は、つくったビジョンを展開するとき、関係する人たちに広く共有し、境界を越えてともにビジョンを実現しようと活動することを阻む壁です。組織やチームが、部署ごとや地域ごとなど、分断されている状態では、せっかくつくったビジョンも伝わりにくく、理解してもらえない、活動に活かされない、ということが起こりやすくなります。また、ビジョンがあることで、本来であればコラボレーションや越境したプロジェクトが生まれるかもしれないチャンスを逃してしまいま す。
この本では、とくに「ステップ5 未来の自分たちを語り合う」で、解決のヒントが見つかるかもしれません。また「ステップ4 未来の風景を描き出す」でも、境界を越えてつながるための、ビジョン共有方法を紹介します。
人間味を排除してしまう壁
「人間味を排除してしまう壁」は、ビジョンをつくる過程で、一人ひとりの主観的な意見や感情を大事にできず、数値的な情報や、専門家などの一部の人の意見だけを頼りにして、考え方を狭めてしまう壁です。
正解のない時代のビジョンづくりでは、一人ひとりの考えやアイデアがビジョンに個性的な視点を与えます。また、それぞれが感じとった違和感を共有することが時代に合わせて調整していく力となります。
しかし、ビジネスの場において、個人的な感情を表に出すことは、タブー視される風潮はあるでしょう。また、組織やチームとしても一人ひとりの考えや気持ちに寄り添い、対話していく技法をもち合わせていない場合もあると思います。そして、人間味が排除された結果、ビジョンに血が通わず、組織に根づかないという結果になってしまいます。
これを防ぐためには、ビジョンづくりに参加する人が、自分の心を開示していける環境づくりがとても大切です。この本では、とくに「ステップ1 自分たちらしさを探索する」で、対話の方法について解説します。
他人事の壁
「他人事の壁」は、ビジョンに関係する一人ひとりが、主体的にかかわっていくことを阻む壁です。せっかくビジョンをつくっても、それを活動に変えてくれる人がいなくては意味がありません。
ビジョンが、自分にも影響のあるものだと自分ごととして考えられなければ、他人から押し付けられたものと感じてしまいます。その必要性を認めて活動に活かすことができない状態になってしまい ます。
この壁を越えていくには、一人ひとりの心に火を灯していくような活動が必要になってきます。
この壁は、活動する意識にかかわることなので、ビジョンをつくるすべてのステップに関係してきます。意識を変えていくヒントは「ステップ1 自分たちらしさを探索する」や「ステップ5 未来の自分たちを語り合う」の中で見つかるかもしれません。
本書でつくるビジョンの特性
北極星ではない
この本では、社会の状況、技術の進歩が激しい時代で役に立つ「自分たちで打ち立てる、自分たちのためのビジョンづくり」の方法を扱います。何かの型に当てはめて効率的につくる方法ではなく、何もないところからゼロベースで始め、探索的に創造していくビジョンづくりの方法です。既存の概念、枠組み、方法などにとらわれずに柔軟に物事を考えていくため、独創的な発想が得られるはずです。
本書でいう「ビジョン」には、次のような特性があります。
- 正解を示す「点」から、解釈の余地のある「面」へ
- 「確定」されたものから、「進化」していくものへ
- 「競争」を優位にするものから、「共創」を促進するものへ
- 「浸透させる」ものから、「育む」ものへ
- 大企業が打ち出すだけのものから、個人や小さなチームでも考え発信できるものへ
- 「確信」を与えてくれるものから、「覚悟」を促すものへ
ここでは、一つの理想像や目指すべき絶対的な指標という扱いではなく、人によって解釈が異なるという曖昧さを許容するビジョンを扱います。到達するゴールという「点」ではなく、つくりあげたい世界観を「面」としてとらえ、価値観の共有を目指します。もちろん、解釈の自由度が高まれば、ビジョンそのものは確定されたものではなく、つねにアップデートされ進化していく姿になるでしょう。
ビジョンを活用する目的としても、他社に対しての「競争」の優位性を打ち出すためのものではなく、さまざまな組織とコラボレーションし、ともにその世界の生態系をつくりあげていくような「共創」のためのものとなるでしょう。
さらに、ビジョンをつくる人も、組織やチームの規模も変化します。大企業が打ち出していくだけのものではなく、中小企業のビジョン、プロジェクトにおけるビジョン、コミュニティにおけるビジョンなど、さまざまなシーンでも活用できるものを目指します。
逆に、大企業がつくる従業員の意識統制のためのビジョンや、社内外の政治活動を優位に進めていくためのビジョンづくりは扱いません。
そして、この本で扱うビジョンの最大のポイントは、人間らしい個人の感情やもやもやとした違和感などの曖昧なことと真剣に向き合いながら、血の通ったビジョンを目指しているところです。ビジョンは、通達されるものではなくつくり出すもの。「確信」を与えてくれるものから、「覚悟」や決意を促すものへと変わっていくでしょう。
そもそもから考える
ビジョンを考えることは、活動の最上流の部分を考えることにもなります。とくに、ゼロベースでビジョンをつくる場合、何を基準にすればよいのかわからず不安にも感じるかもしれません。「問題だから改善しよう」「いわれたからやっていこう」というふうに、活動するにあたってわかりやすい理由が見えていないからです。
しかし、大事なことはとてもシンプルです。「何のためにやるのか」という理念(Why)。「何をやるのか」という方針(What)。「どうやるのか」という施策(How)。理念を中心にとらえ、その理念を実現するための方針があり、さらにその方針を実現するための施策がある、というように考えます(図-3)。この優先度を無視してしまうと、理念をとらえきれずに、考え方が分散してしまうということにもなりかねません。
そして、この本でいう「ビジョン」とは、理念と方針の部分を合わせて示します。もっというと、これらの背景にあるものも、本書ではビジョンの重要な要素となるでしょう。
何のために、何をしたいのか、というビジョンに対し、どのような施策を講じるのかを全体像でとらえ、その結果どのような未来の風景をつくり出していくことになるのかを明確にしていきます。