本記事は『フェーズフリー 「日常」を超えた価値を創るデザイン』の「はじめに」と「第1章「社会課題」としての「災害」」から抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
フェーズフリーとは何か
自分がまったく経験したことのない状況をイメージするのには、限界があります。ましてや、そうした事態にむけて準備や対策をするのは簡単なことではありません。
いざという時のために、防災セットや非常食などを用意しているという方はいるかもしれません。しかし、自信を持って「何が起きても絶対に大丈夫だ」と言い切れる人は少ないのではないでしょうか。それもそのはず。何が起こるか想像できない以上、「これさえ備えておけば大丈夫」と言い切ることは、原理的に不可能だからです。
もちろん、あらゆる可能性を想定して、ありとあらゆるものを備えるという方法もあります。しかし、それも簡単ではありません。日常の生活を懸命に送っている私たちが、いつ訪れるかわからない「もしも」のためだけに投資できるお金や時間には、限りがあるからです。
「日常時の生活を犠牲にして、非常時に備えろ」というのは、おかしな話でしょう。「備える」ことは、難しい。そう、私たちは「備えられない」という社会課題を抱えているのです。
しかし今、そうした社会が少しずつ変わり始めています。キーワードは「Phase Free(フェーズフリー)」です。
フェーズフリーとは、「日常時」と「非常時」という2つの社会状況(フェーズ)から自由(フリー)になり、「いつも」を豊かにする物が、「もしも」においても暮らしと命を支えてくれるようにデザインしようという、防災にまつわる新しい考え方のことです。
具体例を紹介しましょう。たとえば、トヨタ自動車の「プリウスPHEV」という車があります。PHEV(プラグインハイブリッド車)とは、ガソリンを使用するエンジンを搭載しつつ、外部から供給した電源でも走行できる、ハイブリッドな車のことです。
この車の凄いところは、(ハイブリッドであるがゆえの)燃費の良さだけではありません。実はこの車、災害などによる停電が発生した際には、搭載された大容量のリチウムイオンバッテリーが蓄電池として機能するほか、エンジンを作動させれば発電機としても利用可能になっています。そう、日常時だけでなく、非常時にも役立つように設計されているのです。
プリウスPHEVの場合、約5日分の家庭電力量を賄うことが可能となっています。
プリウスPHEVは、決して非常時のための商品ではありません。プリウスPHEVを購入する人の大半は、あくまで日常における価値(燃費の良さなど)を目的に購入しているはずです。しかし、その日常における価値が結果的に「非常時」にも役立っている。
「備えてください」というメッセージは、多くの人にとって「コスト」の提案でした。たとえば、「災害に備えて5日分の非常用発電機を購入しておいてください」とお願いしても、実際に購入できる人はわずかでしょう。いつ必要になるかわからない、日常において価値が低いものにコストを支払うのは難しいからです。
しかし、プリウスPHEVという商品は、「燃費が良い車が欲しい」という日常時のニーズに応えつつ、結果として災害に備えた状態をも生み出している。プリウスPHEVは消費者にとって「コスト」ではなく「バリュー」となっている。「コストであるがゆえに備えることができない」という防災の問題をクリアできているのです。
そうしたデザインが普及していけば、たとえ備えることが難しくとも、「いつの間にか備わっている社会」の実現が可能なのではないか。フェーズフリーは「備えられない」ことからはじめる、新しい防災の考え方なのです。
フェーズフリーはなぜ支持されるのか
「コスト」から「バリュー」への転換。このパラダイムシフトによるメリットは、それだけではありません。これにより、災害対策が「誰もが参加可能なフィールド」になるというメリットもあります。どういうことでしょう?
ここでも、例をもとに考えてみたいと思います。「脱出ハンマー付きシガーソケットUSBカーチャージャー」という商品があります。日常時には自動車のシガーソケットにつけて使う充電器として、非常時には窓ガラスを割るための脱出ハンマーとして利用することができる商品です。
台風や大雨にともなう洪水被害の死亡事例において、自家用車の中で亡くなる「車中死」の割合がとても高いことをご存じでしょうか? 水位が上がると、水圧により車のドアは開けることが困難になります。また、車の窓ガラスは非常に頑丈で、簡単に割ることができません。結果、車の中に閉じ込められたまま亡くなってしまう事例が後を絶たないのです。たとえば2019年に発生した台風19号、20号による水害で亡くなられた72名のうち、車中で死亡した方は30人にものぼります。
そうした被害を防ぐための商品が、車の窓ガラスを割るための脱出ハンマーです。脱出ハンマーは数百円ほどで買えますから、さほど高価な商品ではありません。しかし、脱出ハンマーの存在を知っている車所有者のうち、実際にハンマーを備えているのは2割程度だという実態があります。大半の方が、脱出ハンマーを備えていないのです。
わずか数百円で自分や同乗者の命を守れるはずなのに、なぜ備えられないのか。そこには「自分は大丈夫だろう」という過信だけでなく、「日常において役に立たないものに、コストをかけたくない」という心理も働いていると考えられます。
しかし、先ほど紹介した「脱出ハンマー付きシガーソケットUSBカーチャージャー」の場合はどうでしょうか。たとえばUSBカーチャージャーを購入するために、自動車用品ショップへ買い物に行ったとしましょう。棚には一般的なUSBカーチャージャーと、脱出ハンマーとしても使えるカーチャージャーが、同じ値段で並んでいます。この時、どちらの商品の方が、手に取られる可能性が高いでしょう。おそらく、後者ではないでしょ うか。
なぜなら、せっかくなら脱出ハンマーとしても使える商品を買った方が「お得」だからです。「お得」という日常における価値が、結果として非常時の命を守ることにつながっているのです。
さて、この例で注目したいのは、「フェーズフリーな商品の方が売れる」という点、そして、この商品を手がけているのが、いわゆる防災商品を開発している専門的な企業「ではない」という点です。
ビジネスチャンスとしてのフェーズフリー
世の中のありとあらゆる商品やサービスは、フェーズフリーになる可能性を秘めています。先ほど紹介した「脱出ハンマー付きシガーソケットUSBカーチャージャー」も、もともとはカーチャージャーです。防災商品ではありません。けれどもフェーズフリーな商品にしたことで、他の商品との差別化が可能になり、売れるようになりました。
つまりフェーズフリーは、災害という課題を解決するための手段というだけでなく、あらゆるビジネスやサービスにとっての「ビジネスチャンス」でもあるのです。それはさらに言えば、災害対策に取り組むプレイヤーが大幅に増えるということでもあります。
また、便宜上「ビジネスチャンス」と表現しましたが、フェーズフリーを採用することで高い支持を集める可能性があるのは、狭義の「ビジネス」だけではありません。たとえば自治体が何か新しい公共施設を作ろうとしたとします。その際に、「日常時しか役に立たない施設」と、「非常時にしか役に立たない施設」、そして「日常時にも非常時にも役に立つ施設」の3つがあったとして、どれが一番住民の支持を得ることができるでしょうか?
ほかにも、フェーズフリーな政策や、フェーズフリーな教育、フェーズフリーな医療など。脆弱性があらゆる箇所に潜んでいる以上、裏を返せば、あらゆるものがフェーズフリーになる可能性を秘めているともいえます。
もしあなたが担当する商品やサービスをフェーズフリーなものに変えるとしたら、どんなことが可能でしょう。具体的なアイデアの作り方は本書で紹介しますが、自分の考えたアイデアが多くの支持を集め、世の中に広がり、さらに非常時には人々の命を守ることができると想像すると、ワクワクしてきませんか?
そして、そうやって日常の暮らしのすみずみにまでフェーズフリーが浸透すれば、知らず知らずの間に社会の脆弱性は小さくなっていきます。フェーズフリーは、ビジネスをより支持されるものに成長させながら、災害を解決していくことが可能となる概念なのです。
「解決策」から「参加策」へ
フェーズフリー自体は具体の商品やサービスではなく、あくまでひとつの概念でしかありません。しかし、概念の力は強力です。新たな概念の登場により大きなインパクトがもたらされ、社会が変わった事例は、これまでにも数多く存在します。
たとえば、「ユニバーサルデザイン」という概念があります。これは、文化や言語、国籍の違いや障害の有無などに左右されない、あらゆる人にとって暮らしやすい社会を目指そうという、デザインにまつわる概念です。
また、今では完全に定着した「エコ」。これは「エコロジー(生態学)」と「エコノミー(経済)」という2つの言葉の意味が含まれた概念で、地球温暖化問題や環境・生物多様性の保全、省資源・省エネルギーなどに寄与しつつ(エコロジー)、それでいてお財布にも優しい(エコノミー)プロダクトやサービスを提供することで、私たちの暮らす地球を守ろうという考え方です。
これらに共通するのは、いずれも「参加」を促すことで解決につなげている点にあります。たとえば「エコ」という概念が登場するまで、環境問題等への取り組みは防災と同様にコストと見做され、参加できるプレイヤーが非常に限られたものでした。しかし、エコという概念の登場で、「環境にもお財布にもやさしい」商品やサービスの開発が進み、供給する側にとっても需要する側にとっても、環境問題が参加しやすい身近なものとなったのです。
これはユニバーサルデザインも同様です。特定のマイノリティだけに対する配慮をこらそうとした場合、そこにはどうしてもコスト的な問題がつきまといます。けれども、「誰にとっても使いやすく・わかりやすい」ユニバーサルデザインという概念が登場したことで対象となるパイが広がり、ビジネスなどにも採用しやすい、誰もが参加しやすい状況が生まれました。
ほかにも、多様性が生み出すオシャレさやユニークさによって、経済的な不均衡をなくそうという「フェアトレード」なども、同様に概念が参加を促し、社会を動かした事例だといえるでしょう。
フェーズフリーもこれらと同じく、参加を促す概念です。脆弱性は社会のありとあらゆるところに存在しており、それらを取り除くには、行政や個人、ボランティアなどにコストを強いる防災だけでは難しいという実態があります。だからこそ、誰もが参加できるフェーズフリーという概念が必要になるのです。
フェーズフリーという概念は、日本のみにとどまらず、年齢や性別、国籍など属性を問わず、行政や営利・非営利問わず、はたまた個人から世界レベルにまで、あらゆる領域に広がる可能性を持っています。なぜなら「いつでも、どこでも、だれでも安心安全で快適に暮らせる社会」は、誰もが望む普遍的なものだからです。
年齢や性別、国籍など属性や個性の異なる、世界中の人々がそれぞれの視点で自由な発想のもとでフェーズフリーに参加してくれれば、フェーズフリーはさらに価値あるものとなっていくことでしょう。
そしてフェーズフリーの社会実装が進めば進むほど、より多くの人々の日常の暮らしがより快適で安全なものとなり、非常時にもできる限り日常と変わらない暮らしが送れるようになります。自分自身と大切な人の命を守り、これからの未来を描く礎となるのです。
実際に、フェーズフリーは現在、さまざまな形で社会、そして世界に浸透しつつあります。本書はフェーズフリーの成り立ちを振り返りながら、社会に実装されつつあるフェーズフリーの実例を紹介したいと思います。