「財務数値」と「手触り」の隔たりと違和感
Biz/Zine編集部・栗原(以下、栗原):山田さんは元々、総合商社でインフラ投資や事業経営に携わっていました。そこからなぜ、デザインの世界へ転身されたのでしょうか。
山田和雅氏(以下、山田):私は総合商社で社会インフラ事業、特に海外の大型発電所やスマートシティ開発などの投資案件に従事していました。M&AやPMI(合併後の統合プロセス)、インドネシアの事業会社に出向しての経営改革など、いわゆる「資本主義」のど真ん中にいたわけです。
商社のポートフォリオマネジメントは非常に洗練されています。IRR(内部収益率)やリスクリターン、P/L(損益計算書)を精緻に分析し、意思決定を行っていく。しかし、投資を実行し、実際に現地へ赴いたときに、強烈な違和感を覚えました。
現地には、熱帯の豊かな自然と、そこで暮らす人々の日常があります。私たちのプロジェクトは、その生活に大きな影響を与えているはずなのに、本社に持ち帰って報告するのは、無機質なスプレッドシート上の数字だけです。莫大(ばくだい)な資金が動くプロジェクトの意思決定が、現場の「人間としての手触り」が抜け落ちたまま、極めてシンプルに行われていく。この「空虚感」は何なのだろうと悩み続けました。
そんなタイミングで出会ったのが、BIOTOPE代表の佐宗(邦威)の本を通じて知った「人間中心デザイン(Human-Centered Design)」という概念でした。数字だけではなく、人間に立脚したビジネスのあり方を学びたいと考え、MBAではなく、イリノイ工科大学のデザインスクール(ID)への留学を決意したのが転機でした。
早稲田大学政治学研究科卒。三井物産にて海外インフラ事業やM&A、事業経営に従事した後、イリノイ工科大学デザインスクール(ID)にて修士号取得。ビジネスの実務経験とデザインの理論を融合させ、企業のビジョン策定、経営理念の浸透、社会課題解決型のシステミックデザインプロジェクトなどを多数リードする。著書に『戦略デザイナーが伝えたい、システムのデザイン』(クロスメディア・パブリッシング)がある。
デザイン思考の限界を超え「システムの視点」を持つ意味
栗原:そこで「人間中心デザイン」を深めるはずが、現地の授業で衝撃を受けたと伺いました。
山田:はい。入学初日のオリエンテーションで、先生がいきなり「Welcome to Post-Human Centered Design(ポスト人間中心デザインへようこそ)」と言ったのです。「えっ、人間中心デザインを学びに来たのに、もう『ポスト』なのか?」と驚きました(笑)。
そこで提示されたのが、デザイン思考のフレームワークとして有名な「BTC(Business/Tech/Design)」モデルの限界でした。ビジネスの実現性、技術の可能性、人の欲求(Desirability)の3つが重なればイノベーションが起きる、という従来の図式に対し、先生はこう問いかけました。「では、サステナビリティや社会の包摂性(Inclusivity)、公正さ(Just)といった課題は、BTCだけで解決できますか?」と。
答えは「No」です。個人の欲求を満たすだけのデザインでは、社会全体の課題は解決できないどころか、悪化させることもある。だからこそ、デザイン思考は進化しなければ陳腐化してしまう。そこで提唱されたのが、物事をより広範なつながりの中で捉える「システムのデザイン」だったのです。
栗原:書籍の冒頭にある「ペン」のエピソードも印象的です。あれはどのような学びだったのでしょうか。
山田:私の師であるカルロス・ティシェイラ教授の授業での話ですね。彼は一本のペンを取り出し、「これはペンでしかないが、複雑なシステムの縦軸と横軸の交差点にある」と言いました。横軸は「サプライチェーン」です。素材、部品、製造、物流といったグローバルなつながり。縦軸は「文化」です。書くという行為、記録する文化、そこから生まれる知性。
ただのペン一本を見る時も、単なるモノとして見るのではなく、その背後にある巨大なシステム(産業構造や文化、社会規範)の結節点として捉える。これが「システムの視点」です。かつての商社マンだった私が感じていた「部分的な数字」と「現地の全体像」の隔たりを埋めるヒントがここにあると、直感で理解できました。
