リーダーがジャズセッションのようなグルーヴ感を組織に生み出す、“低い解像度のリーダーシップ”とは?
武井(ダイヤモンドメディア株式会社 代表取締役 共同創業者):
仕事でグルーヴを生み出すには、役職がない方がいいんですよ。肩書きであったり、その人の持つ権力だったりは、勝手にコンテクストを生み出して、コミュニケーションを一方通行にさせるような現象を生み出すじゃないですか。うちの会社は、そういう人工的なコンテクストをできるだけ無くしてきましたが、それだけではダメだということにも気づいて。放っていても、勝手にコンテクストができてしまうんですね。どうしても能力の高い人や社歴が長い人の方が会話量は増えるし、新しく入った人はいくら能力が高くても、まずは様子を見る。そういうことを克服したいと思って生み出したのが、ブレインストーミングを活用したコミュニケーションの場だったんです。アイデア出しとしてはでなく。
ブレストのいいところは、コンテクストをゼロにするんですよね。社歴が浅い人とか社外の人とか、そういう人たちでもいきなり参加できて、発言量を増やすことができる。脳のニューロンみたいなもので、そこでの会話の経験が生まれると、他の場でも会話の量が増えるというのが、社内を見ていてわかってきました。会話を自発的にすることで、会社のことが自分事化するんです。
宇田川(埼玉大学 人文社会科学研究科 准教授):
その話は、中村さんの『場のデザインを仕事にする』の5章に出てくる解像度の話と通じるんじゃないですか。メンバーに目的と戦略を伝えるときに、解像度をあんまり高めてはいけない、つまり「どうやるかを決めすぎず、目的をクリアするまでのポイントをいくつか置いておいて、それをつなぐ道はメンバー同士で共創していけるようにする」という話で、すごく共感しました。今のブレストの話もそうだなと。解像度が高い話はブレストには向かないですよね。あるいは音楽のセッションも、最初から五線譜に書かれた譜面があったら解像度が高すぎるわけで、最低限の秩序にとどめておいた方が、セッションというものが自己組織的に起きるということなのかなと。
昔、マーシャル・マクルーハンが『メディア論』の中で言ったのは、高精細な、それ自体でメッセージが完成されているホットなメディアと、低精細で、受け手に解釈や関与する余地の残されたクールなメディアがあるということです。彼はラジオがホットなメディア、その頃に新しく出てきたテレビはクールなメディアだと指摘しました。低精細なクールなメディアの方が、人による解釈の余地があるから、そこから色々なものが生成してくるんだという話でした。このマクルーハンが言っていることと、セッションやブレストの話は、つながっていますよね。