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“流行りの対話技法”では「対話」は生まれない──ナラティヴ・アプローチによる組織変革

コラム第7回

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 前回、私が研究において依拠している思想「ナラティヴ・アプローチ」を紹介した。その中で、自分の認識の外側にある“得体の知らないもの”に気づく「相対化」に触れた。ナラティヴとは、語りや物語のことで、相対化された既存の物語に“新しい物語”を紡ぐのがナラティヴ・アプローチだ。今回は、前回の記事に対して多くの方から頂いた反響の声の中から、特に私が気になった「対話」に関して考えてみたい。対話という概念の重要な側面をもう一度捉え直すことを通じて、対話とは何であり、何が求められるものなのか、そして、なぜ対話が重要なのかについて考えていきたい。

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“流行りの対話技法”だけでは「対話」は生まれない──ギリシャ哲学の“メタノイア的対話”とは

職場がどうも色々なところで“しっくりこないこと”が多い。対話をすることが大事だと考えて、せっかく職場内で対話の場を持とうとしているのに、同輩や上司や部下が応じてくれなくて、対話をしようにも対話にならずに困っている。

 色々なワークショップに呼ばれることもあるが、その際に耳にする“どうしても”気になる言葉が「対話」だ。「これまでのお話を踏まえて『対話』しましょう」と言われる時に、特に大きな違和感が残る。私の違和感は大きく二つに分類できる。

 一つは対話という言葉がほとんど「じっくり話し合う」という意味で使われている点であり、それは私の理解する対話の概念のごく一部に過ぎない。もう一つは、そのような「対話」で果たして組織は変わるのか疑問が残るという点である。

 この場合の「対話」とは、円形に配置された席に座り、実際にじっくりと何かのテーマについて、もしくは逆にテーマは設けずに話をする時間のことを指しているのであろう。

 “対話の技法”は様々に開発されている。ワールドカフェ、フューチャーサーチ、オープンスペーステクノロジーなど……、“挙げきれない”くらい存在するのだ。

 和やかな「対話」の場は、人間関係を解きほぐすのには良い。しかし、痛みを伴っても変えなければならないことに対して挑むことから、“目を背けている”ように思えて仕方ない。

 また、冒頭で紹介した読者の視点には“重要な点”が抜けている。それは「なぜ対話そのものに、参加しない人がいるのか」ということである。自分の提案が他人に拒否されることは、ショックであり痛みを伴うものである。この状態は、前回のコラムで述べた「相対化された瞬間」そのものだ。拒否されることを他人の問題にしていたところで、何も変わらない。

 では、どうすればいいのか。それは「相手のことをよく知り、自らの視点を改めること」が重要となる。ピーター・センゲがギリシャ哲学の用語から「メタノイア」と名付けている概念だ。

 対話とは、まさに視点を改めるために行われるものである。相手の視点だけでなく、自分の視点も改めなければならない。相手の視点だけを改めさせようとすることの中に潜んでいる“自身の狡猾さ”に目を向けなければ、対話にならないのである。

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“適応課題に挑むこと”が「対話」であり、“関係性を変化させる”ための「入り口」となる

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この記事の著者

宇田川 元一(ウダガワ モトカズ)

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