他者の視点に立てるということが、真に「教養がある」ということ
宇田川元一氏(埼玉大学経済経営系大学院 准教授、以下敬称略):後輩の研究者が僕の本を読んでくれて、「この本は“大人になる”という本ですね」と言ってくれたんです。なるほどね、と思いました。自分のナラティヴの中で正論を言って「相手がわかってくれない」と思うのは、まだ大人になっていないということなんですよね。
迫俊亮氏(ミニット・アジア・パシフィック株式会社 代表取締役社長、以下敬称略):僕も、同じような感想を持ちました。教養の大事さを紐解く本だな、と。もともと「教養を身につける」というのは「大人になる」というような意味合いですよね。教養小説といえば、無為に過ごしていた子どもが旅に出て、経験を重ねるうちに視野が広がり異なる世界が見えるようになる、といった成長の話です。自分の視野をズラすとか広げるということができるのが教養で、それができないとナラティヴ・アプローチというのはできない。この本を読んで改めて、ただの知識ではない本当の意味での教養が大切なんだとすごく感じました。
宇田川:それまでの自分とは別の視座を獲得していくということですよね。
迫:ファンド案件の落下傘経営者が失敗するときには、そこに問題があることが多いようです。外資系コンサルティング会社で高く評価されていたような人が経営者になって、1年くらいで失敗してしまうことがあります。そういう人はすごく優秀ですけど、学校から職場まで同質的なエリート集団のみで過ごしてきた場合、そうではない層の見方に合わせることに苦戦する場合が多い。「なんでこいつらは、こんなに働かないんだ?」というところで思考停止してしまって自分をズラすことができず、周りとうまくいかなくなってしまう。
宇田川:本の中の言葉で言うと、「自分のナラティヴを一旦脇に置く」ということができない。本で書いた「準備―観察―解釈―介入」の対話のプロセスの「準備」が出来ない、ということですね。
迫:おっしゃる通りです。専門知識はあっても、対話ができていないのでうまくいかない。これは経営者だけでなく、マネージャー層でも同じようなことがあるんでしょうね。
宇田川:若手でもそうだと思いますよ。よく「上司が分からず屋でどうしようもない」と相談されます。新しいことをやろうとしても「お前、それでどうやって利益出すんだ? 人員の確保どうするんだ?」などと言って潰しにかかってくると。でもそれは、そこのポイントを抑えればGOが出るという見方もできると思うんです。自分が絶対正しいと思っていると、見方を変えることができないんですね。向こうからどう見えているのか、相手の視点に立ってみればチャンスが見つかるのですが。