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経営変革の「思想」と「実装」

宇田川准教授が語る「センスメイキング」と「ケア」の経営──コロナ禍の“中断”をどう意味づけるのか?

前編

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コロナ禍での中断を契機に自分の使命を問い直し、ケアという信念に気づく

──宇田川先生は、2020年4月以降どのように過ごされましたか。

宇田川元一氏(埼玉大学経済経営系大学院 准教授、以下敬称略):2020年4月に緊急事態宣言が出る前から、予定されていた講演や企業との取り組みが軒並みキャンセルになりました。2019年10月に本を出したこともあり、様々なメディアに取り上げていただき、多くの機会をいただきました。それが2020年3月に一気に吹き飛びました。それまでは休む間もなくて疲れていたこともあったのかもしれませんが、「あれ、僕って必要とされていないのかな?」と悲観的になったときもありました。

 自分のなかでバサッと「中断」が起きたわけです。それからしばらくは、「自分は何のためにがんばっているのか」「探求すべきテーマは何なのか」といったことを深く考える内省の時間になりました。

 そのなかで、自身の研究の基盤となっている「ナラティヴ・セラピー」に出会ったきっかけをあらためて振り返りました。それは、僕が大学4年生の頃、家族のことで精神的に非常に不安定になっているときでした。僕は自分を助けてくれるきっかけとなるものを探していて、たまたま臨床心理家のミルトン・エリクソンと哲学者のグレゴリー・ベイトソンという、ナラティヴ・セラピーの源流となる人たちの考え方に出会ったのです。彼らの考え方が自分の揺るがない信念になっているということに、この時期に改めて気づきました。

 エリクソンがセラピーでやっていたのは、クライアントがもともと持っている力を引き出すということです。そのベースには、人間はすでに解決する能力を持っているけれどそれを引き出せる仕組みや構造がない、言い換えれば「関係性」がない、という考えがあります。

 『他者と働く』でも書いていますが、人間が過ちを犯すのは愚かで非合理だからではない。ある人のナラティヴ(解釈の枠組み)のなかでは一定の合理性があるけれど、別のナラティヴからすると違うということに過ぎない。そしてナラティヴが変われば見えるものが変わってきます。ナラティヴ・セラピーはそこに働きかけるということをやっているのです。

 この「中断」の期間に読み返した本に、精神科医の松本俊彦先生の『薬物依存症』(ちくま新書)と精神科医で心理学者のミルトン・メイヤロフの『ケアの本質』(ゆみる出版)があります。これらの本に学んだのは、「ケア」の意味です。松本先生の実践からわかるのは、「ケア」というのは「医療者の立場から見て正しいこと」とか「医療者としてやりたいこと」をすることではなく、「患者の置かれた状況に対して必要なことをすること」だと。そしてメイヤロフは、ケアしケアされるという関係がケアの本質だと述べています。ケアする人が身を削って相手に尽くすのではなく、相手にとって必要なことをすることを通じて自分も助けられる。それは、自分と相手の課題をすり合わせて、深めていくということなのだと思います。僕はそれが、自分のやりたいこと、使命なのだと感じました。この数ヶ月の間に、自分がやっていることの意味を発見したのです。

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