足尾銅山の削岩機用のバネからスタート
同社がこの地でバネの開発と製造を手掛けるきっかけは、足尾銅山にあります。足尾銅山は日光市足尾地区にあった、日本を代表する銅山です。約400年の歴史がありますが、江戸末期はほぼ閉山状態でした。風向きが変わったのは、1877年(明治10年)に古河市兵衛(古河鉱業、現在の古河機械金属の創業者)が足尾銅山の経営に着手してからです。技術進化の恩恵も受けて、次々に有望鉱脈が発見されました。当時の富国強兵政策を背景に、20世紀初頭には日本の銅産出量の約40%の生産高を占めるまでに成長しました。
当時、銅山で使われていた削岩機は輸入品に頼っており、現場ではメンテナンスをしながら使っていました。おそらく当時の村田発條は補修部品として、オリジナル品に替わるバネを提供していたのでしょう。1914年、古河鉱業はメンテナンスで培ったノウハウをもとに、国産削岩機第1号を開発しました。日本人の体格に適した小型の削岩機が求められていたからです。ちなみに、村田発條の会社設立は1913年ですから、ほぼ同時期です。