なぜ関西電力は「イノベーション」をバリューとして掲げるのか
浜田氏は1993年に関西電力に入社し、電気事業の技術部門からキャリアをスタートさせた後、情報通信分野を中心とした新規事業開発に長く携わり、現在は執行役員としてイノベーション推進本部で新たなビジネスの創出を指揮している。
関西電力グループは『「あたりまえ」を守り、創る』を存在意義(Purpose)として掲げ、持続可能な社会の基盤となる電気、エネルギー、通信、不動産などの各既存事業を展開する。同時に、同社は新規事業創出にも意欲的に取り組んでおり、大切にする価値観(Value)には「挑戦」を掲げ、その英訳には「innovation」が当てられている。全社で「イノベーション」をバリューと掲げることで、新ビジネスを創出する企業文化を支えているのだ。
中でも、浜田氏が率いる同社のイノベーション推進本部は重要な位置を占める。ビジネスと技術を組み合わせることをコンセプトに運営されるこの組織は、関西電力グループ全体で新規事業を生み出す原動力となっている。
関西電力のイノベーション文化は本業でのイノベーションから始まった
浜田氏は、関西電力の歴史を3つの段階に分けて振り返り、それぞれの時期におけるイノベーションについて解説した。
第1期は、電力供給の安定化を目指し、本業である電力事業においてさまざまな挑戦を行った時代だ。
電気は当時まさにイノベーションだった。19世紀後半、電気が普及し始めた頃、電灯はガス灯を凌ぐ明るさを誇る革新的な技術とされたのだ。その影響の大きさは、電力事業がアメリカで始まってからわずか10年後、日本国内での電灯数が10万件に達していることからも分かる。その後、BtoBだけでなく、BtoCの電気ビジネスも大きく進化し、昭和期には家電の発明や普及が進んだ。家事労働を劇的に軽減するまさにイノベーションの連続だったと言えよう。
関西電力は今までも多くのイノベーションを実現してきた。代表例として、日本初の商業用水力発電所である京都の「蹴上発電所」の立ち上げが挙げられる。また、1951年に関西電力発足後は、日本最大のアーチ型ダムである「黒部川第4発電所」の建設を手掛けた。黒部川第4発電所の建設は、世界でも屈指の難工事とされたが、数々の困難を乗り越えて成功を収めた。
さらに、関西電力は日本初の純揚水発電所を導入し、水を使って電気を蓄える設備を構築。また、日本初の商業用原子力発電所の建設にも成功するなど、革新的な技術導入に積極的に取り組んできた。こうした経験が関西電力の「挑戦するDNA」を形成するきっかけとなったと同氏は語る。