「経営者」と「投資家」は似て非なるものか
日置 圭介氏(ボストン コンサルティング グループ パートナー&アソシエイト・ディレクター、以下敬称略):まずは中神さんが提唱されている「三位一体の経営」について、概要を教えていただけますか。
中神 康議氏(みさき投資株式会社代表取締役社長、以下敬称略):三位一体の「三位」が何を指すかというと、経営者、従業員、株主です。この三者が一体になって会社の価値を上げ、その成果を享受して、みんなで豊かになりましょうというのが、三位一体の経営のコンセプトです。
これまでの日本企業は、経営者と従業員の二人三脚でやってきたわけですが、そこに投資家を入れることで経営のレベルが一段上がり企業価値が上がるようになって、みながその成果を享受していけるのではないか、という仮説です。ここで投資家と僕が言っているのは、経営を徹底的に調べ上げて鑑定し、厳選したわずかな数の会社だけに長期投資する「厳選投資家」のことです。
日置:経営に投資家、特に厳選投資家の視点が必要だと考えるようになったのには、何かきっかけがあったのでしょうか。
中神:大学を出てから20年間ずっと、経営コンサルタントしかやったことがなかったのですが、いい仕事ができたときはクライアント企業の価値が上がって株価も上がるという経験をしました。「これを投資に置き換えたらユニークな投資リターンをつくれるのではないか」という仮説を持ち、16年前に投資家の世界に移りました。以来ずっと「働く株主」を標榜しやってきた中で、経営者と投資家の視点の違いというものを痛感しました。
経営サイドでは事業欲に駆り立てられ、組織をしっかりつくって人心掌握し、みんなでコミットして事業を育てようと考えます。会社は運命共同体で、「このメンバーでやっていく」という意識が強い。これは「法人実在説」と呼ばれる考え方です。会社を人の集合体として捉えるわけですね。
一方で投資家の世界に来ると、そうやって一生懸命頑張っている皆さんを「銘柄」と呼び、あたかもモノのように比較したり選別したりします。この会社の価値はいくらで、それに対して今の株価は高いのか安いのか、ということをドライに突き放して考えているわけです。このように、会社を売買可能な資産として捉える考え方を「法人擬制説」と呼びます。
私自身は投資業界の人が、人間の集合体である会社を極めて無機質なものとして扱うことにとても違和感がありました。一方で、実は投資家と経営者はものすごく相似形だな、とも思いました。経営者というのは個別の事業や機能が良くなればいいというわけではなく、会社が丸ごと強くなっていかなければいけない。それは投資家も同じで、会社丸ごと価値が上がってもらわないと困ります。
「経営者は孤独だ」とよく言います。それはひとりで判断してその大きな責任を負わないといけないから。研究開発や設備、人材育成などの投資は果たして実を結ぶのか、それはいつなのか。
一方で投資家は、売りか、買いか、そのまま持っているかを判断するのが仕事の本質です。将来が不確実なものに対しての投資判断が求められ、結果が全てだという点は、経営者も投資家も全く同じですね。
法人実在説と法人擬制説との間で、法学的に百年以上も論争になっている。それは会社には両方の側面があるからです。会社は運命共同体という世界だと、事業ポートフォリオの管理は難しい。同じ釜の飯を食ってきた先輩がつくった事業を、切り捨てるなんてできないでしょう。法人擬制説のドライな突き放し方も場面によっては必要で、「この事業に参入障壁はないでしょう」「赤字ではないけれど超過利潤が上がってない」といった議論から必要なアクションを策定します。両者の考え方をブレンドしながらやっていかないと、会社は良くなりません。