3つの大きな「縁」が消え、孤立する個人をつなぐもの
佐宗 邦威氏(以下、敬称略):SNSなどを中心としたコミュニケーションのスタイルによって、社会として共有するものがなくなり自立するバラバラな個人の集合体となっていく社会の流れがあります。一方、心理学のアイデンティティ研究によると、日本人は個人としての強いアイデンティティを持つというよりも、会社や学校などの中間集団と呼ばれる所属集団にアイデンティティを感じやすいとされています。前編で今後は様々な局面でパラレルワールドを生きることになり、仕事でも住まいでも複数のコミュニティに所属することになると議論しました。その場合、個人が入れ替わるコミュニティのアイデンティティは、どう形成されていくのでしょうか。
山極 壽一氏(以下、敬称略):コロナのパンデミックによってテレワークが始まり、多くの人が気づいたのは、人々が家庭と会社という2つのコミュニティを持っていたことではないでしょうか。これまで会社や家庭のトラブルの多くは、例えば仕事ばかりしていて家庭を顧みないから配偶者に疎まれて離婚する、家庭のトラブルを会社に持ち込む、などといったその2つの世界の間のコンフリクトにまつわるものも多かった。ですから、そもそも都市社会では、この2つの以外のサードプレイスに所属することはコロナ以前から重要な課題でしたよね。
一方で、歴史的な問題で失ってきたコミュニティ、縁もあります。そのひとつが「地縁」です。明治初期に富国強兵策として、地方の次男以下の若者たちが都市に集められました。第2世代、第3世代くらいまでは大都市に住みながらも故郷は鹿児島、新潟地方都市という方が多かったですが、第4世代になると、もう故郷のつながりを持っていない。地縁が失われているんですよね。
入山 章栄氏(以下、敬称略):私がまさにそうですね。両親は新潟出身ですが、新潟のアイデンティティは全く持てていないです。
山極:そうでしょう。また「血縁」も失われつつあります。今はお墓参りをする人も少なくなって樹木葬を選択したり、墓じまいをしたりする人もいる。また、一人っ子同士の結婚で家のお墓を維持できなくなる人もいます。結婚式も親族一同が集まって行う人は減りました。家族を超えて親族が集う機会が減り、血縁というアイデンティティもなくなっています。
さらに今は「社縁」もなくなりつつあります。戦後の日本社会を支えてきたのはこの社縁です。社員の福祉を会社が賄って、会社を辞めた後の年金生活は政府が保障してきた。だからこそ税率がこれほど低くてもやっていけたのですが、現在の企業社会は終身雇用ではなくなりました。低成長時代で30年間給料は上がらないし、非正規雇用が40%もいる。そんな状況で会社にロイヤリティを持って一生奉職したい人は少ないですよね。つまり社縁もなくなってしまった。様々な観点から、個人がバラバラになっているのが今の時代です。だからこそ、新たな縁をみんなが求め始めているのだと思います。