顧客の体験を切らさない。ナイキとパタゴニアが実践する“体験の統合”
マーケティング部門は「今回のキャンペーンは評判が良く、売り上げもxx%伸びました」と胸を張る。カスタマーサポート部門は「問い合わせが殺到し、通常よりyy分もお待たせしました。途中離脱も出ています」と眉を寄せる。販売部門は「反響が大きすぎて欠品が相次ぎました」と疲れた声を落とす。同じ顧客についての報告のはずなのに、語られる現実はバラバラ。
これは、とある企業の月次報告会での光景です。
原因は単純で、オンラインでの出来事、店頭での出来事、サポートでの出来事が、一人の時間軸として連続で見えていないからです。
必要なのは「顧客の体験を切らさない」という設計思想です。誰が、いつ、どこで、何をして、次に何が起きたか。この連なりが自然にたどれるかどうかで、報告会で捉える顧客の解像度は大きく変わります。
ここからは、上手に一連の体験が設計できている海外の事例として、NikeとPatagoniaの例を紹介します。
Nikeは店舗の体験も含めて体験の設計を組み立てています。ニューヨーク、上海、パリの3ヵ所に置かれている「House of Innovation」を例に見てみましょう。商品タグをアプリでスキャンすれば在庫とサイズが一目でわかり、そのまま試着を頼めます。マネキンの足元のQRをかざすと、目の前のコーデがアプリにそのまま表示され、ジャケットもパンツもシューズも、色・サイズ・在庫まで一目でわかります。気に入ったらアプリで精算でき、レジの列に悩まされることもありません。
便利さは目立ちますが、本質は「閲覧→試着→決済」が一人の体験としてアプリに刻まれることです。翌週にUIの並びを少し入れ替えれば、誰のどの躓きが減ったのかまで把握できます。売り場の見せ方を少し変えたときも同じです。入り口でQRコードを読み込んで即試着する「目的買い」なのか、店内を回って複数タグをスキャンする「比較派」なのか、どの来店の流れに効いたのかが手触り感を持ってわかります。会計時にアプリを提示すれば、店での購入はオンラインの履歴に統合されます。顧客に余計な操作を求めず、利便性そのものがデータのつなぎ目として機能する設計です。
続いてはPatagoniaの例です。Patagoniaは、「売って終わり」にしません。「Worn Wearプログラム」で修理・下取り・再販を自社の正式な流れとして組み込み、購入後の出来事も同じアカウントでつながるようにしています。
擦れた袖口には職人の当て布がのり、ステッチはあえて隠さない。「傷は思い出の地図」という哲学です。街やフェスを巡るリペア・トラックでは無料の修理講座が開かれ、直した服の物語は「Stories We Wear」に残ります。使い切ったジャケットは下取りに出すと、パタゴニアで使える商品券(バウチャー)が受け取れます。その一枚が、次の人のもとでまた新たな旅(体験)を紡いでいくことになるのです。
これらは別々の世界の出来事ではありません。同じアカウントの延長線上に記録されるから、どれだけ使われ、どこが傷みやすく、なぜ手放されたのかという顧客の声が時間とともに蓄積されます。その声が次の素材や縫製、メッセージの言い回しに反映され、値段ではなく共感で選ばれる関係が育つのです。
顧客を“理解”しただけでは終わらない。体験改善への第一歩
両社に通底しているのは、派手な指標ではなく、一人ひとりの体験を途中で途切れさせない姿勢です。店での出来事はアプリに残り、アプリで見えたことは次の売り場づくりに活かされる。サポートで得た学びは翌週に反映され、その変更がサポートの負荷を軽くする。様々な場所で起こる改善が、同じ人のストーリーでつながり、体験を変える。これらが最終的に良い業績として現れます。
では、どうやって利便性を保ちながら分断をなくすのか。答えは、普段の操作をそのまま「つながり」に変えることです。スキャンは在庫を確かめるための動きですが、その一手が体験の結び目になります。モバイル決済は行列を減らすための手段ですが、その一手が購入の履歴を連続させます。修理や下取りの手配は手間を減らすための段取りですが、その一手が購入後の流れを切らさないのです。顧客にとっての当たり前の使いやすさが、体験を自然につなぎ、次の改善へ直結します。
一人の体験を途切れさせずにつなぐことで、企業は顧客を本当に正しく理解できるようになります。
ただし、理解しただけでは十分ではありません。サポートに寄せられた声がただ蓄積するだけでは、顧客の不安は解けません。大切なのは、その声をいかに早く体験へと返せるか。顧客像を磨き込みながら、体験を改善していけるかが、顧客関係を資本へと変えていく第一歩です。
次ページでは、顧客の声をベースにしてどのように素早く改善していくか紹介します。
