NECの新規事業の起点は「株価100円割れ」と「リストラ」
セッションは、両氏が本格的に新規事業開発を率い始めた「過去」の振り返りから始まった。共通していたのは、その動機が強烈な「経営危機」にあったことだ。
北瀬氏がNECの新規事業開発チームに参加したのは2014年。しかし、その直前の2012年、同社の株価は100円を切るまでに低迷[1]し、大規模なリストラを断行していた。「当時の経営者が『二度と社員をリストラしたくない』と。そのためには誰かが3年先、5年先の手を打たなければならない、というところから始まった」と北瀬氏は語る。
しかし、当時の経営はまさに「ボロボロ」。先行投資が必要な新規事業開発に対し、社外に苦悩を語ると「お金がないのにどうするんだ」「無理だね」という冷ややかな声が浴びせられた。
「そこでまず取り組んだのが、組織開発と事業開発の両輪を回すことでした」と北瀬氏。事業で目に見える成果が出るには3〜5年かかる。その間、「頑張っています」だけでは経営陣が待てないため、まずは人材開発や組織開発などの側面で「確実に組織力を高めている」という短期的な成果を示しつつ、本丸の事業開発を進めたという。そして事業開発の成果として外部からの資金調達も活用し、「これは確かに現場では難しい新規事業だ」と社内に認めさせることができた。
NECで、30年以上にわたり事業革新や新規事業創出に従事。 文教・科学分野の営業・事業開発や戦略スタッフ、コーポレート新規事業開発部門での事業開発・組織開発・人材開発、そして、ヘルスケア・ライフサイエンス事業責任者、米国dotData,Inc.取締役、BIRD INITIATIVE社長を歴任、計9社事業会社やCVC設立の経験を持つ。 2025年よりヤマハで新規事業開発・CVC・M&Aを統括し、持続的成長とイノベーション推進に尽力している。
[1]日本経済新聞『NEC株、100円割れ 格付けの見直しも』(2012年7月21日)
「危機が常態」のKDDI
一方、中馬氏が率いたKDDIの新規事業の状況は一見、対照的に見えた。しかし、根底にある危機感は同様、いや、むしろ「常態化」していたという。
「我々はもともと電話会社ですが、Skypeの登場などで売上は5〜10年で10分の1になるような世界を経験しています。電話がダメならインターネット、インターネットがダメなら携帯、というように、感覚的に『5年、10年で本業はダメになるよね』という意識を現役社員のほぼ全員が共有している組織でした」と中馬氏は語る。
北瀬氏が所属していた当時のNECが「資金が少ない」状態から始まったのに対し、当時のKDDIにはキャッシュがあった。しかし、その戦略は斬新だった。「勝つために、研究開発をほとんどやめた」というのだ。背景には、40万人体制で毎年数千億円規模の研究開発費を投じるNTTに対し、5万人で年間の研究開発予算が100億円程度のKDDIが真っ向から勝負しても勝てない、という冷静な判断があった。
「だから自前主義での勝負を捨てて、全てのリソースをオープンイノベーションに振り切り、スタートアップをはじめとした外部とのパートナー連携に投資する、という戦略を取りました」(中馬氏)
2011年、ガラケーがスマートフォンにディスラプトされるのを目の当たりにし、このビジネスモデルは駄目だと、「KDDI ∞ Labo(ムゲンラボ)」が立ち上がった。危機感が常態化しているからこそ、常にマーケットの変化の先手を取るために動き続けてきたのがKDDIのスタイルであった。
KDDIのオープンイノベーション事業責任者として、数々のスタートアップ投資を通じて「イノベーティブ大企業ランキング」で7年連続1位を獲得。また、新規事業開発として「バーチャル渋谷」や「αU」などメタバース・Web3プロジェクトや、高輪GWシティの「空間自在プロジェクト」などを牽引。現在は、みずほフィナンシャルグループ執行役員CBDOとしてグループの新規事業を統括。「新しい資本主義実現会議」スタートアップ育成分科会委員、経済産業省 J-Startup推薦委員、経団連スタートアップエコシステム変革TF委員、東京大学大学院工学系研究科非常勤講師、一般社団法人Metaverse Japan理事など、政財界団体の委員などを多数歴任。
