危機的状況を経て、ホラクラシーでもティールでもない「アジャイル組織」を目指すまで
片岡氏らは京都大学大学院在学中の2000年に、インターネットサービス企業として起業した。現在、法人向けデジタルマーケティング支援を行うゆめみだが、起業から一貫してアジャイルな組織だったわけではない。
元々は大学院の同級生で創業した企業だったので対等な関係性ではあった。しかし、30人、50人と社員数が増え、中途社員が入ってくるなかで、2005年には目標管理、評価制度、職務権限、ワークフローなどを整備して一般的なピラミッド型の組織になっていた。
「ゆめみが今のように変わることになったきっかけは、2011年11月25日金曜日に起きた大事故です」と片岡氏は語る。
2008年にゆめみは国内最大手の小売流通企業と取引を開始し、店舗で利用されるデジタルクーポンサービスのシステム構築と運用を行っていた。ところがその日、システム障害があって、アプリケーションが使えない状況になったのだ。その結果、顧客内では最高ランクの「インシデント」となり、全店舗が業務停止扱いになってしまった。
それだけではない。その件がゆめみ社内で共有されておらず、片岡氏は後から知ることになったのだ。問題を報告する文化が、当時のゆめみにはなかったと片岡氏は語る。
危機感を抱き、全社で請け負っているのは社会に大きな影響がある業務システムだという認識を新たにして、危険予知研修を行い、品質とアジリティを両立しようという意識に変えた。しかしその時点では、意識は変わっても、組織の形は変わっていなかった。
その頃、立て続けに3人、部長が音を上げるということが起こった。
「優秀な人材である3人が続けてギブアップするなら、人の問題ではなく、組織としての制度や構造の問題だと考えました」と片岡氏は振り返る。
当時は一般的な組織設計で、役職に人を紐付け、役職に対して責任を紐づけるスタイルだった。しかしこのスタイルにすると、プロジェクトマネジメントを行うだけでも大変なのに、その人がプロフィットマネジメント(売上・予算責任)、プロセスマネジメント(業務標準化・プロセス効率化等)、ピープルマネジメント(人事考課、キャリア面談など)といった複数の事柄に対して責任を負い、なおかつプレーヤーでもあるという状況が発生する。
この状況は非常にハードである。それに気づき、ゆめみでは権限委譲を行って、役割を人に紐づけて分散させる仕組みへ変えていった。それが2014年のことである。