「何かをつくるとき」には、同時に“自分もつくられる”
実は、「つくることによって学ぶ」ということをすでに実践している人は多い。なかでも代表的なのは、作家や芸術家たちである。彼らは作品をつくるなかで、世界や自分についての理解を深めるとともに、自分なりの方法を磨いている。つくることが学びになっているのである。このことについて、ファンタジー作家のミヒャエル・エンデは、次のような言葉を遺している。
わたしはよく言うのですが、わたしが書く行為は冒険のようなものだって。その冒険がわたしをどこへ連れてゆき、終わりがどうなるのか、わたし自身さえ知らない冒険です。だから、どの本を書いた後もわたし自身がちがう人間になりました。わたしの人生は実際、わたしが書いた本を節として区切ることができる。本を執筆することがわたしを変えるからです。
ミヒャエル・エンデ,『ものがたりの余白』, 田村都志夫 訳, 岩波書店, 2009
同じようなことを、多くの作家・芸術家が語っている。小説家の村上春樹も、次のように語る。
……小説を書くのは、僕にとってすごく大事なことなんです。それは自分の作品を生み出すことであると同時に、自分自身を変えていく、自分自身をバージョンアップしていくことでもあるわけだから。
村上春樹, 『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』, 文藝春秋, 2012
思い返せば、私たちも仕事のなかで、創造的なプロジェクトに携わったときに、自分が変わったと感じたことがある人は多いのではないだろうか。いま見てきたような「つくることによって学ぶ」ことについて、文化人類学者の川喜田二郎は、次のように的確にまとめている。
創造的行為は、まずその対象となるもの、つまり「客体」を創造するが、同時に、その創造を行うことによって自らをも脱皮変容させる。つまり「主体」も創造されるのであって、一方的に対象を作り出すだけというのは、本当の創造的行為ではないのである。そして創造的であればあるほど、その主体である人間の脱皮変容には目を瞠(みは)るものがある。
川喜田二郎, 『創造性とは何か』, 祥伝社, 2010
このように、「つくる」ことは「学ぶ」ことなのである。実は、このような「つくることによって学ぶ」ということは、前回紹介した3つのCの時代の流れ、「Consumption」(消費社会)→「Communication」(コミュニケーション社会)→「Creation」(創造社会)にも対応している。
従来から学校で行われてきた「教わって学ぶ」という学び方だけでなく、最近は「対話・交流によって学ぶ」というワークショップが開かれることも多くなっている。そして、これからは「つくることによって学ぶ」ことが重視されていくことになるだろう。この「つくることによって学ぶ」は、「教わって学ぶ」と「対話・交流によって学ぶ」に次ぐ第三の学びという意味で、筆者は「ラーニング3.0(Learning 3.0)」と呼んでいる。
創造的な組織をつくるためには、創造活動のなかでメンバーが学び・成長できるように支援することが求められる。「つくる」ことが単に「つくる」ことで終わらず、「学び」につながるように促すこと、そしてそのための道具と方法が必要となる。各人がつくることと学ぶことの関係を意識したうえで、創造活動における学びを自分でデザインできるようにすることの支援が重要となるのである。そこで今回と次回は、創造的な学び(クリエイティブ・ラーニング)を支援するための道具として、「ラーニング・パターン(Learning Patterns)」を取り上げることにする。