印刷会社の営業から東亜新薬の代表に至るまで
大角知也氏(以下、大角):増田さんは、印刷業界でキャリアをスタートしたと伺いました。ヘルスケアイノベーターとしては異色の経歴かと思いますが、これまでの職歴を簡単に教えていただけますでしょうか。
増田将之氏(以下、増田):大学卒業後は印刷会社の営業職として働き始めました。自ら営業計画を立てて顧客の受注を促すと同時に、受注業務を滞りなく遂行できるよう、顧客や発注先の与信管理も行っていたのを覚えています。
私は後の会社経営において、未来から現在の課題を考える「バックキャスティング」の思考を基本に据えることになりますが、それを初めて学んだのは、この印刷会社で働いていた時だったのかもしれません。製薬企業のMRは、医療倫理の遵守や医薬品の公正な情報提供の観点から見積もりや現金回収という役割を求められておらず、いわば「守られている営業職」といえます。それに対して印刷会社の営業職は、半年・1年先の個人予算の見通しと実行と、それに伴うお金に関わるすべてのプロセスに責任を持たなくてはなりません。
大角:製薬業界ではなかったからこそ、身につけられた考え方があったということですね。その後、東亜新薬に入社して以降は、どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。
増田:当初は、神奈川拠点の営業職として、東亜薬品工業の総代理店だった鳥居薬品のMRと協力体制を構築しつつ、新製品の販売などに取り組みました。その後、大阪営業所を統括するプレイングマネージャー、本社配属の営業本部長兼常務を経て、2019年2月に代表取締役社長に就任したという流れです。
大角:改めて、東亜新薬の沿革と事業について教えてください。
増田:東亜新薬は、私の祖父である増田盈が創業した東亜薬品工業から、販売部門だけがスピンオフする形で、1963年に設立された会社です。現在、医療用医薬品事業が全社売上の約9割を占めており、活性生菌製剤という、ヒトの腸内に存在する菌を配合した整腸剤「ビオスリー」を販売しています。
その他、同事業で蓄積した腸内細菌の知見を生かして、サプリメントや基礎化粧品などを開発・販売する健康食品事業と、腸内環境の検査サービスをはじめとする新たな事業開発を手がけています。
東亜新薬の「ビオスリー」が60年以上売れ続ける理由
大角:発売後すぐにピークアウトしてしまう医療用医薬品も多い中、東亜新薬の「ビオスリー」が60年以上に渡って売れ続けているのはどのような要因があるのでしょうか。
増田:大きな要因は、プロバイオティクスをはじめとする腸内細菌や腸内環境の研究が進み、市場全体が成長したことでしょう。今や、腸内細菌は1000種・100兆個も存在しているといわれ、「もう1つの臓器」として健康や病気に影響を及ぼしていると考えられるまでになりました。
大角:なるほど。では、拡大し始めた同市場の中で、競合製品と差別化できた要因は何でしょうか。
増田:まず、水なしで服用できるOD錠(口腔内崩壊錠)という特徴を、プロモーション戦略の主軸にしたことが挙げられます。もう1つは、プロバイオティクス自体のポジショニングを行い、アプローチする診療科の範囲を拡大したこと。整腸剤というと、消化器内科・外科で処方されるイメージが強いですよね。それに加えて、今まで活動が出来ていなかった領域に腸内環境が関わる切り口を見出し、医師や医療に従事される方々以外にも、患者さんへの疾患の啓発活動として情報提供を行うようにしたのです。
大角:医療用医薬品の販売はいわばBtoBtoCのモデルですが、その中でtoCとtoB、双方への情報発信を工夫したということですね。
増田:同時に、対象診療科の拡大は、既存商品を新市場へ導入する戦略とも位置付けられると考えています。
大角:「アンゾフの成長マトリクス」における「新市場開拓戦略」ですね。
増田:その通りです。会社の歴史を振り返ると、「ビオスリー」以外にも胆汁分泌の医薬品などを開発するなど、「新製品開発戦略」が見られた時期もありましたが、現在まで残っている製品は「ビオスリー」のみです。つまり、当社の事業成長で決定的な転機となったのは、「新市場開拓戦略」だといえそうです。