日本企業だけが実質賃金が上がらない時代。鍵となる株式報酬の活用
──今回のインタビューの目的は、新連載「三位一体の経営の実践者」を開始するにあたり、改めて「三位一体の経営」を構成する要素を振り返ることです。まず、なぜ長期視座での企業経営を考えて、『三位一体の経営』を執筆されたのか。その経緯から聞かせてください。
中神 康議氏(みさき投資株式会社 代表取締役社長、以下敬称略):私は休日にへたくそなサーフィンをやっているのですが、定年退職間近のおじさんサーファーと会話をしている時に、彼が持株会でコツコツ買っていた自社株の時価が気づけば2,000万円近くになっていたという話を聞いたんです。しかも、退職金とは別に。そんな景気のいい話があるのかと思い驚きました。
ちょっと気になったので、マクロベースでも多くの人が豊かになっているのだろうかと調べてみました。そうすると、日本以外のOECD加盟国企業の実質賃金が上昇している中、日本だけが横ばいだったんです。ミクロでは景気のいい話がある中で、マクロでは惨憺たる状況というギャップにさらに驚きました。そこでその差を解明しなければと思ったのが、『三位一体の経営』を書くきっかけになりました。
──日本の実質賃金が横ばいだという話は衝撃的ですね。
中神:この実質賃金の停滞問題は確かに改善すべきなのですが、ではこの時代に「給与や賞与」のみで従業員は豊かになれるのか、という観点も必要でしょう。「三位一体の経営」では、投資家だけではなく、経営者や従業員も自社株を持つことで“オーナー意識”を持ち、その成果を長期的な株価向上という形で享受し「みなで豊かになる」道のりを提示しています。しかし、現実を見てみると、日本企業の多くの従業員株式保有比率は、他の先進国の企業と比べても圧倒的に低い。
なので、他の先進国の企業、特にGAFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)などの株式保有に関する取り組みを参照し、日本企業とどのような差があるのかを整理したいと思います。それは役員や従業員に支給される株式報酬(Equity Incentive)の違いです。
──具体的にはどのような取り組みなのでしょうか。
中神:時価総額世界第一位のApple(2020年)は、2019年当時の時価総額は約100兆円であり、発行済株式数に対して単年度に従業員に付与された株式報酬の株数合計の比率(年次バーンレート、と呼ばれます)は0.83%です。したがって、2019年は単年で約8,300億円相当の株式報酬が支給されたことになります。これを従業員1人あたりの金額に換算すると、2019年の従業員数が14万人弱なので、1人あたり単純平均で約600万円の支給があったことになります。Appleではすでに高額で知られている給与と賞与に加えて、これだけの株式報酬が与えられているのです。
ここに株式価値の上昇が加わります。Appleの2019年の平均株価は約50ドルで、2020年平均では約95ドルに値上がりしています。2019年に付与された株式を引き続き保有しつづけている場合、値上がりを含めた報酬額を従業員1人あたりの金額に換算してみると、1人あたり単純平均で530万円ほどの価値増分があることになります。さきほどの600万円に加えて、530万円の価値増加で合計1,130万円の財産を、Appleの従業員は給与や賞与とは別に手にしたことになるのです。