本記事は『ニューノーマル時代の経営学 世界のトップリーダーが実践している最先端理論』の「Chapter 1 変化に対応する戦略創造」から一部を抜粋したものです。掲載にあたって編集しています。
ビジョンやミッションで「食えるのか」
コロナ禍によって多くの企業はこれまでのビジネスのあり方を変える必要に迫られている。これまで自社の強みとしていたところが急速に失われ、新たな方向性を模索しなければならなくなった企業も多い。
このような経済危機の中、多くのコロナ経営に関する書籍では、企業の「ビジョン」や「ミッション」が大切だという主張を繰り広げている。私も前著『アフターコロナの経営戦略』(翔泳社)の中で、「ビジョン」とそれに紐づく「企業ブランド」がアフターコロナにおいては重要だと主張した。
こうした主張は一見すると正しいように思える。企業にはビジョンが必要だという考え方自体、松下幸之助の「水道哲学」以降、日本のビジネスパーソンには当たり前に理解されてきた。
1990年代には、ジム・コリンズの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BP社)がベストセラーになったことで、大企業からベンチャー企業に至るまで、企業には経営理念が必要だという考え方はある種の常識になったようにも思える。
しかし、経営理念を定め、共有している企業は業績が良いという考え方は一見正しそうだが、実はそうではない。『ビジョナリー・カンパニー』に登場した企業が、その後衰退していったという事実をご存じの方も多いであろう。
そこで、ビジョンやミッションと企業業績との長年の「謎」を解き明かすのが本節のテーマである。
本題に入る前に、そもそも企業のビジョンやミッションは『ビジョナリー・カンパニー』が主張するように非常に独自性のあるものなのか、それともあらゆる企業のビジョンやミッションは結局似通ったものなのか、その点について調査したユニークな論文を紹介しよう。
ミッションのオリジナリティ
2015年にラシエラ大学のエリック・アンダーソンらが『Journal of Marketing and Management(6(1):1-15)』で発表した"Do the Top U.S. Corporations Often Use The Same Words in their Vision, Mission and Value Statements?(アメリカのトップ企業はビジョンやミッション、バリューステートメントにおいてしばしば同じ用語を使っているのではないか)"という論文では、アメリカの時価総額ランキング上位100社のビジョンやミッション、そしてバリューの3つのステートメント(文章)を単語レベルで分解し、整理・分析している。
彼らは各社のビジョンやミッションはただ単にPR目的で策定されたものなのか、それとも企業自体・製品自体に根ざしたものなのかを把握するためにこれらの研究をスタートした。
その結果、ビジョンとミッションステートメントについては各社の利用する言葉は独自性がある一方で、バリューステートメントに書かれた文章はほとんどが似通っていたことが明らかになった。
バリューステートメントについては具体的な経営の手段になってくるため、そのときどきの流行りの経営手法が書かれている一方で、ビジョンやミッションなどの部分では企業の歴史や強みなどに根ざした、独自性のある言葉が使われていることが多い。つまり、会社のビジョンやミッションについてアメリカの大企業は、『ビジョナリー・カンパニー』が説くように、各社が独自性のあるビジョンやミッションを考え、そして表現していることになる。ただ単に、そのときどきの世の中の"ウケ"を狙ったPR目的ではない。
ミッションは業績に影響するか?
では、この研究をスタート地点とし、各社の独自性のあるビジョンやミッションがどの程度業績に影響するのかについて見ていこう。
まず、この分野での先見的な研究として、当時ジョージ・メイソン大学に在籍していたジョアン・ピアース2世らが1987年に『Academy of Management Journal(1(2):109-116)』で発表した"Corporate Mission Statements:The Bottom Line(企業のミッションステートメントと営業利益)"という論文がある。
ピアースらは、1987年当時、ビジョンが戦略策定の第一歩であると理解されている一方で、ミッションステートメントは企業業績に影響しないという書籍や研究も登場してきたことから、統計的な研究によって、ビジョンと企業業績との関係性を明らかにしようとした。
そこで彼らはフォーチュン500社の企業に対して問い合わせを行い、218の企業から回答を得て、61の企業からミッションステートメントを入手した(当時はミッションステートメントがある企業は少なかったため61社でも多いほうだろう)。『ビジョナリー・カンパニー』で登場する、ファイザーやダウ・ケミカル、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどが登場する。
そして、これらの企業のミッションステートメントを「自社の経営哲学」「経営のコンセプト」「公的なイメージ」「ターゲット顧客や市場」「主要な製品やサービス」「地理的立地」「コア技術」「生存、成長、収益性への関心」という8つの要素に分解し、営業利益の高い企業と低い企業でどのような差があるのかについて調査した。
その結果、好業績な企業と低業績の企業との有意な差は、「自社の経営哲学」「経営のコンセプト」「公的なイメージ」に含まれる要素であることが明らかになった。具体的には、表2を見ていただきたい。
8つの要素のうち、「自社の経営哲学」「経営のコンセプト」「公的なイメージ」という要素については、たとえば「自社の経営哲学」の要素は好業績な企業の89%が記載する一方で、低業績の企業は60%しか記載しておらず、統計的に有意であることになる。「経営のコンセプト」や「公的なイメージ」についても同様である。
一方で、「ターゲット顧客や市場」や「主要な製品やサービス」といった要素は、むしろ低業績の企業のほうが多く記載していることがわかる。
つまり、低業績企業のミッションステートメントは好業績企業とは異なり、企業の経営哲学やコンセプトを明確に語っておらず、あくまでも市場や製品について紹介するだけにとどまってしまっている。
ミッションと業績に関するさらなる研究
ピアースらの論文以降にも統計的な調査を行った論文がある。当時マクマスター大学教授だったクリストファー・バートらが1998年に『Journal of Management Studies(35(6):823-853)』で発表した"The Relationship Between Mission Statements and Firm Performance : An Exploratory Study(ミッションステートメントと企業業績との関係性:探究的研究)"という論文がある。
クリストファー・バートらは、ピアースらの研究も含め、ドラッカー以降に発表されたステートメントについて研究した8つの論文を分析して、ミッションステートメントをどのように研究しているのかを理解しようとした。
その上で、カナダにある売上上位500社を示す「フイナンシャルポスト500」に掲載された企業のうち、136名の経営者から郵送で調査票を回収し、CEOにインタビューを行った。
その結果、ミッションステートメントがある企業とない企業とでは売上高利益率、成長性、社員満足度については統計的に有意であったものの、総資産収益率(ROA)については差がなかったと結論づけた。
他にもヘルスケア分野で、アメリカの17州にある312の緊急医療センターのうち、130の医療機関についてビジョンと財務パフォーマンス(コスト・収益性)および成長率を調査したものがある。2016年にテキサス大学のラチャナ・グルアティらが『Journal of Healthcare Management(61(5):335-350)』で発表した"Vision Statement Quality and Organizational Performance in U.S. Hospital(アメリカ医療機関におけるビジョンステートメントの質と組織パフォーマンス)"という論文である。
それによると、17州のうち13州で統計的に有意な結果が出ており、7州(41%)においてはビジョンの質と収益および医療品質(パフォーマンス)との間に強い相関があったことがわかっている。
一方で、ピアースやバートの結果とは異なり、ビジョン/ミッションが企業業績と関連しないのではないかと指摘する論文も多数ある。
その中で近年の代表的な研究としては、ピーター・アトリルらが2005年に『Corporate Ownership and Control(2(3):28-35)』で発表した"Company Mission Statements and Financial Performance(企業のミッションステートメントと財務パフォーマンス)"がある。
アトリルらは、イギリスの143の企業を対象に、ミッションステートメントがあるかないかによって、3年間のROEにどのような影響があるかを調査した。その結果、3年間のROEの数値において統計的に有意な差はなかったと結論づけている。一方で、3年間の株式リターンにおいては、ミッションがある企業のほうがない企業よりも高いリターンを示したという。
ビジョンやミッションを企業業績につなげるには?
では、実務家としてはこれらの結論が異なる論文をどのように解釈すれば良いだろうか。表3を見ていただきたい。ここまで紹介してきた論文について対象企業・組織、財務データと定性データ、結論部分をまとめたものである。
これらを比較した結果、筆者は調査対象の財務データと定性データの内容(営業利益なのか、ROAやROEのような資本収益性か、株式リターンのような経営者のコントロールが一部利かないような指標なのか)によって結論が異なったのではないかと考える。
したがって、ミッションステートメントがある企業は社員の満足度が高く、企業の成長につながり、結果として企業の収益性も高まると考えられる。
一方で、資産を効率的に活用して収益を上げられるかどうかについては、経営戦略やビジネスモデルの影響が強いため、ミッションステートメントだけでは説明できない。したがって、総資産収益率(ROA)については有意な結果が出なかったということであろう。
ROEについても、ROAと同様に資本の大小が関係しており、具体的な資本戦略が重要となってくる(資本戦略についての詳細は第5章で紹介する)。収益性だけでは測ることができない指標であるから、統計的に有意ではなかったと解釈できる。
最後に、株式リターンについては、ミッションステートメントが明確に表現されている企業のほうが株主が投資をしやすく、それによって株価が上がったと考えられる。
これらの論文の結論から明らかなのは、ビジョンやミッションは企業の収益性にとって必要であるが、それが「今どきのビジョンやミッション」である必要はないことである。
ビジョンやミッション策定というと広告代理店などに委託して、おしゃれなものを策定する必要があると考えるかもしれないが、そもそもビジョンやミッションが収益性に影響する理由は、社員の満足度やモチベーションにつながるからであった。そうであるならば、社長自らが語ることができるビジョンやミッションであれば十分であり、今どきのおしゃれなビジョンやミッションである必要はない。
他方で、ピアースらが示したように、どのような項目を最低限ビジョンやミッションの中で示すべきなのかは経営学的に明らかとなった。すなわち、「自社の経営哲学」、「経営のコンセプト」、そして「公的なイメージ」の3つである。
ビジョンやミッションには何を盛り込むべきなのか?
最後に参考として、従来のビジョンやミッションと企業業績に関する論文が、ビジョンやミッションの内容をどのように定義し、分析してきたのかをまとめたバートとヴァエツの表があるので、それを紹介しておこう(表4参照)。
「経営哲学・企業の価値」 「自社の経営コンセプト」 「公的なイメージ」 以外に会社のホームページや社員への共有資料、株主向け資料などに記載する場合の参考にしていただきたい。冒頭で紹介したビジョン研究の基本書である『ビジョナリー・カンパニー』では、創立50年以上の成功企業の要因を「基本理念を維持しながら、進歩を促す」ことだと述べているが、ビジョンやミッションを軸とした経営が企業における基本であることが最先端の研究でも統計的に立証されたといえる。
変化が早く、先が見通しづらい「ニューノーマル時代」であるからこそ、基本となるビジョンとミッション、特に自社の「経営哲学」「経営コンセプト」「公的なイメージ」に改めて立ち返り、これからの事業のあり方を再確認する必要があるといえよう。
最先端の経営理論による示唆
- 企業のビジョンやミッションは企業の業績に良い影響がある
- 企業の業績の中でも営業利益や売上高成長率、株価リターンに効果がある
- ビジョンやミッションには「経営哲学」「経営コンセプト」「公的なイメージ」を最低限記載する必要がある