デザイン組織「KOEL」に至るまでの紆余曲折。始まりはデザイナーゼロで始めた草の根活動
岩嵜博論氏(以下、敬称略):KOELができるまでの変遷を教えてください。
金智之(以下、敬称略):KOELができたのは2020年4月です。しかしデザインに関する取り組みはそれまでもずっと続けてきました。これは自分からすると4回目のトライになります。
起点となったのは2011年です。当時R&D組織に属していた自分と若手3人でボトムアップ的に活動を始めました。いろいろな事業組織に知り合いを訪ねて「プロダクトに関する困りごとはないですか?」と聞いて回りました。すでにあるプロダクトに関してユーザビリティテストをやってみたり、新規事業の立ち上げチームに入れてもらい、アイデアを作るところから並走したりもしました。ユーザビリティテストに必要なビデオカメラなどをセットにして、旅行カバンに入れて、社内行脚をしていました。
岩嵜:金さん自身は、デザイナーとして入社されたのですか。
金:いいえ、違います。九州芸術工科大学の出身ではあるのですが、入社後はエンジニアをやっていました。この会社でデザイナー採用が始まるのは2020年になってから。自分も含めて当時のメンバーにデザインを専門にやってきた人間は一人もいませんでした。ただ、時代の変化とともにデジタルプロダクトを作ることが増え、自分のようなエンジニアも画面まで作り込む必要が出てきました。また、新規事業創出の担当になり、アイデアを事業に繋げる方法論も必要になってきました。そういった必要性に迫られて、独学、見よう見まねで学んできました。
当時の社内の認識は「デザインは外部に頼むもの」「色や形をきれいにしてくれるんですよね?」というものでしたから、上司に「これからはデザインが必要なんです」と説いたところで「よくわからない」となってしまいます。一方で、エンジニアリングやマーケティングに携わる現場の人たちは自分と同じような悩みを抱えていました。そのため、現場の悩みを起点に草の根的に活動を展開していきました。
岩嵜:それが1回目のトライだったということですね。では、2回目は。
金:ある時、コンタクトセンターの人たちと仕事をすることがありました。コンタクトセンターというのは電話でお客さま対応をするチーム。苦情を含めていろいろとありがたい声をいただく人たちです。
そうした声にはサービスを改善するためのインサイトが詰まっています。けれども、それを社内のサービス開発側に伝えても取り合ってもらえないことが問題となっていました。サービス開発側には「気持ちはわかるが、一個一個対応していたらプラットフォームの運営はままならない」という気持ちがあります。それはそれである意味で正直な感覚なのですが、サイロ化した組織間の認識の差がサービス改善の障壁になっていました。そこで僕らが間に入り、みんなが一緒になって改善していくための活動をしていました。
これらの活動が当時の社長の耳に入り、「これはうちの会社に必要な活動だ」と言ってもらえたんです。そこから、草の根的だった僕らの活動が全社を巻き込んだ大規模な動きになっていきました。これが2回目のトライです。当時は「UXデザイン」という言い方をしていたので、社内の全組織にまずは「UXリーダー」が、続いて実際に手を動かす「UXデザイナー」が配置されることになりました。
けれども、ここからが苦労の連続でした。