「修羅場」を「放置場」にしないタフアサイメントの本質
栗原:育成の具体的な手法として、先生は「タフアサイメント(修羅場経験)」の重要性を強調されています。ただ、多くの企業では「現場に送り込むだけ」で終わっているという課題も指摘されています。真に経営人材育成につながるタフアサイメントとは、どのようなものなのでしょうか。
田中:リーダーの成長の約7割は研修のようなOFF-JT(オフ・ザ・ジョブ・トレーニング)ではなく、日々の「実務経験」からもたらされるという研究結果[3]があります。しかし、その経験が単なる「苦行」で終わるか、血肉となる「学び」に変わるかは、経験の「質」と「仕組み」にかかっています。多くの企業が陥っているのは、候補者を困難な状況に「放置」し、精神論で乗り切らせようとする過ちです。

真に育成効果のあるタフアサイメントとは、「学習効果を最大化するために、戦略的に設計された経験」でなければなりません。経営人材育成の研究者であるシンシア・マッコリーは、人の成長を特に促す「発達的挑戦課題(developmental challenge)」として5つの要素を挙げています[4]。それは、「1:トランジション(未知の領域への異動)」、「2:高度な責任(事業の成果に対して最終的な責任を負う役割)」、「3:権限がない中での関係性構築(公式な権力に頼らず人を動かす経験)」、「4:障害(予期せぬ困難の克服)」、そして「5:変化の創造(ゼロから何かを生み出す経験)」です。

たとえば、赤字事業の立て直し責任者や海外での新規事業子会社の社長などがこれに当たります。人事や経営は、こうした要素が豊富に含まれたポストを意図的に見つけ出し、候補者の成長課題に合わせて戦略的に配置することが求められます。
[3]Lombardo, M. M., & Eichinger, R. W. (1996).The Career Architect Development Planner (3rd ed.). Minneapolis, MN: Lominger Limited.
[4]McCauley, C. D., Ruderman, M. N., Ohlott, P. J., & Morrow, J. E. (1994). Assessing the developmental components of managerial jobs. Journal of Applied Psychology, 79(4), 544–560.
内省を支える仕組みを人事と経営企画、経営層が整える
栗原:そのように設計された貴重な経験を、確実に成長へとつなげるために、組織としてはどのような支援が必要になるのでしょうか。さきほど先生からも指摘があったように「放置」されがちと聞きます。
田中:最も重要な鍵は、「リフレクション(内省)」のプロセスを組織的に支援する仕組みを構築することです。アメリカの教育学者デイビッド・コルブが提唱した「経験学習モデル」[5]が示すように、人は「具体的な経験」をし、それを多角的に「振り返り(内省的観察)」、そこから自分なりの教訓を導き出し(抽象的概念化)、次の行動に応用する(能動的実験)というサイクルを回すことで初めて成長します 。しかし、タフアサイメントの渦中にいる多忙な候補者が、一人でこのサイクルを回すのは極めて困難です。

そこで不可欠となるのが、メンターやコーチによる伴走支援です。特に、これまで既存事業で順風満帆なキャリアを歩んできたエース社員ほど、これまでの環境との違いから、無意識に「市場が悪い」「部下が動かない」といった「他責思考」に陥りがちです。メンターの役割は、安易に答えを与える(ティーチング)ことではありません。対話を通じて本人の思考を整理し、「この経験の本当の意味は何か」「自分自身の行動で変えられることはないか」といった深い問いを投げかけ、本人が自ら視座を高め、答えを見出す手助けをする(コーチング)ことです。
この重要なメンター役は、理想を言えば現役の経営層が担うべきです。なぜなら、候補者の視座が「管理職」から「経営者」へと変容していく機微を捉え、評価できるのは、同じ視座を持つ経営者しかいないからです。経営陣が次世代の経営人材育成を自らの最重要ミッションと位置づけ、時間とエネルギーを投資する。そして人事部門や経営企画部門は、個々の成長課題に合わせたタフアサイメントを設計し、経営陣によるメンタリングを円滑に進める戦略的パートナーとなる。経営人材育成とは、単なる人事施策ではなく、経営陣と人事が一体となって取り組む、企業の未来を創るための根幹的な活動なのです。
栗原:ありがとうございます。次回以降、次世代の経営人材育成に取り組む事業会社の方々と本日の議論も踏まえて、お話できればと思います。

[5]Kolb, D. A. (1984). Experiential Learning: Experience as the Source of Learning and Development. Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall.