ゆでガエル現象に陥る日本企業
「マーケティングは広告や販促の仕事」
多くのビジネスパーソンが、この認識を持っていると思います。しかし、本当にそうでしょうか? 不確実性の高い現代において、企業の持続的成長を実現するためには、マーケティングを単なる認知施策や広告・販売促進の手段としてではなく、事業戦略そのものを形づくる思考法として捉え直す必要があります。
経営層や事業責任者は、短期的な業績改善に追われる中で「自社事業の長期的な競争優位をどう構築すべきか」という根本的な問いに向き合う機会を失いつつあります。四半期ごとの数値目標を達成することは確かに重要ですが、気づいたときには市場構造そのものが変化し、取り返しのつかない状態に陥っている企業を私は数多く見てきました。
この状況を象徴的に表す言葉が「ゆでガエル現象」です。カエルを熱湯に入れると驚いて飛び出しますが、常温の水に入れて徐々に温度を上げていくと、カエルは危機に気づかず、やがてゆで上がってしまうのです。緩やかな環境変化に適応できず、致命的な事態に陥る組織の姿と重なります。
水温上昇に気付けなかった百貨店とレンタルビデオ店
日本の百貨店業界は、ゆでガエル現象の典型例と言えます。多くの百貨店が、バブル期の消費世代に対して購買データを活用した精緻なCRM(Customer Relationship Management:顧客関係管理)施策を展開してきました。個人の嗜好に合わせた商品提案、VIP顧客向けの特別イベント、ポイントシステムの最適化など、いずれも短期的な売上向上につながる施策です。施策の効果は数値で測定でき、前年比の数値は着実に改善していました。
しかし、水面下では顧客層の高齢化が進行していました。顧客の購買力は加齢とともに低下し、百貨店での購買習慣を身につける若い世代は減り続ける一方。長年に亘って既存顧客向けの最適化を続けていたため、若い世代にとって魅力的な売り場や商品を提供する能力が失われていたのです。
時期を同じくしてAmazonや楽天などのECプラットフォーマーが急速に台頭し、消費者の購買行動は大きく変化しました。多くの百貨店がデジタル変革に本格着手したのは、ECの重要性が誰の目にも明らかになった後です。その頃にはECプラットフォーマーが圧倒的な競争優位性を築き上げており、追随が困難な状況になっていました。水温が上がり切っていることに気づいたときには、飛び出す力が残っていなかったのです。
レンタルビデオ業界も同様の道を辿りました。TSUTAYAをはじめとする大手チェーンは、Tカードに代表される会員データを活用した精緻なCRM施策を展開し、ポイントプログラムの充実や店舗レイアウトの改善など、既存顧客の利便性向上と来店頻度を高める施策に注力していました。
しかし2010年代に入ると、NetflixやAmazon Prime Videoなどのストリーミングサービスが急速に普及。消費者の動画視聴行動が「店舗に行ってビデオをレンタルする」から「自宅でストリーミング視聴する」へと変化しました。多くのレンタルビデオチェーンは、この変化を早期に認識していたはずです。しかし、店舗ネットワークという資産と、来店を前提としたビジネスモデルから、結局は脱却することができませんでした。
