育ててくれたのはシステムソフトだった
福岡にインターネット企業が育った理由として、先に述べたようにネット通販の影響があるが、他にもパソコンの創世記からソフトウェアのビジネスを生み出した豊富な人材や企業の土壌があげられる。関係者がよく口にするのは、AdobeのPhotoshopやIllustrator、Norton AntiVirus、MacroMind Directorなどの多くのソフトウェアの日本語版を開発し、福岡から日本全国に販売及びサポートを行い、1980年ごろからダイレクト・マーケティングを行ってきたシステムソフトという会社があったことだ。覚田社長もその一人。
元々小さいときから研究したり実験したりするのが好きでした。マッキントッシュに出会って、23歳のときにシリコンバレーに2週間ぐらい行って。アップルを訪れ、Macワールドエキスポやスタンフォード大学のコンピュータ教育も視察したんです。帰ってきてコンピュータの世界に入ろうと決心し、システムソフトに入社を決めて、大阪から福岡にやってきたんですね。
システムソフトは、そのころのマッキントッシュの主要ソフトの日本語版のローカライズを一手に行っていた。覚田さんは社長の秘書になり、関連会社をひとつ任されるが、その会社を倒産させてしまった。覚田さんが29歳の時だったという。2000万円の借金を負い、窮地を脱するために創設したのがペンシルだった。コンピュータ業界でもなかった覚田さんを導いてくれたシステムソフトの社長、その後の借金の中からペンシルという会社を立ち上げるときに応援してくれた人たちへの恩は忘れない。そういう感謝の意味からも、業界発展のためのインターネット教育や研修を行っているという。