世界中で売っても顧客が見えない。海外マーケからゼロイチの環境へ
Biz/Zine編集部・梶川(以下、梶川):本日はよろしくお願いいたします。まずは自己紹介も兼ねて、これまでのキャリアについてお伺いさせてください。
小笠原広大氏(以下、小笠原):就職活動では多くの企業を受けましたが、リコーは環境経営に非常に強く、世の中に対してポジティブな方向を目指している点に惹かれました。また、カナダへ短期留学した際に知り合った方が「リコーに入社する」と言っていて、その人が楽しく働けているなら自分もいけるだろうと感じたのが理由です。2009年に新卒で入社し、最初は海外のマーケティング系の部署に配属されましたが、最初の1年半はトレーニーとして国内大手の営業を、さらにその後の1年は生産販売管理を経験しました。そこを経て、海外向けのコピー機の企画・マーケティングを担当するようになりました。
梶川:そこからどのような経緯で、新規事業の道へ進むことになったのでしょうか。
小笠原:日本以外の世界中を相手に、3年半ほどコピー機の企画・マーケティングを行っていました。その後、海外駐在をするかどうかの年齢に差し掛かったのですが、「駐在に行くと、またコピー機であと3年、5年と仕事をしなければならない」と思うようになったんです。それに海外マーケティングの仕事は、日本にいながらヨーロッパなどの販売統括や現地の営業・代理店とコミュニケーションを取って商品を売っていく流れです。間に多くの人が入るため、どうしてもエンドユーザーの温度感が失われていくのを感じていました。どこまで自分の貢献が売り上げに寄与しているのかが見えにくく、顧客との距離が遠すぎる。だからこそ、1回ゼロから自分で事業を立ち上げてみないと全体の流れが真の意味では理解できないと痛感し、新規事業をやってみたいと考えるようになりました。
研究所に潜む事業化の壁。大企業特有の「死の谷」で立ち往生
梶川:そこから社内公募を利用して、研究所の新規事業部門へ異動されたのですね。
小笠原:はい。社内で新規事業をゼロからやれる環境を探していたところ、研究所から「新しい技術をどう事業にしたらいいかわからないから助けてほしい」「営業やマーケティング経験がある人間が欲しい」という募集があり、それに応募しました。2015年からのことです。そこから8年ほど、研究所のチームと「技術経営センター」という研究所版の経営企画のような部署をずっと兼務するキャリアになりました。公募で来たことで「営業や海外マーケティングを経験したやつが来たぞ」と過度な期待はかけられていましたが、実際に入ってみるとレールも正解もなく、何が突拍子もないかすらわからない、完全にゼロの状態でした。
梶川:実際に携わってみて、ご自身の営業やマーケティングの経験は活きたのでしょうか? それとも別の苦労があったのでしょうか。
小笠原:過去の経験が直接活きた部分はあまりなかった気がします。ただ、スクラッチで正解がないからこそいろいろと試さなければならない環境や、しがらみがない分、突拍子もないことを求められる環境自体は個人的に性に合っていました。しかし、実際に事業化を進めようとすると大きな壁にぶつかりました。PoCまでは研究所の予算で進められるのですが、いざ量産化して顧客へ出していく段階になると、パタリと進まなくなってしまったのです。研究所の中で出たものをどこの事業部が受け取り、どういう基準で事業化するのかという組織としての仕組みや交通整理が課題でした。ステークホルダーが変わり、その先の投資が取ってこれないという、大企業特有の事業化の「死の谷」をここでまざまざと見せつけられました。



